本症例は,動悸の原因が上室性期外収縮と考えられ,西洋医学的治療が行われたが,症状の改善が認められなかった。本来は検査によって不整脈と症状の関連,そして薬の有効性などが確かめられるべきであったが,患者本人の協力が得られなかったため,最終的に西洋医学的なアプローチを断念せざるを得ないという特殊な状況であった。
抑肝散は,古典的な夜泣きや疳の虫のみならず,現代の臨床においては認知症の周辺症状やいらつきにも応用されている。大塚敬節の「抑肝散について」によると,抑肝散の証には緊張興奮型と弛緩沈鬱型の2つの型がある。一方,弛緩沈鬱型は抑肝散加陳皮半夏の適応で,北山人と浅井南溟が得意としていたとも述べられている1)。抑肝散加陳皮半夏は,抑肝散に二陳湯を合方した生薬構成となっており,大塚敬節らの『漢方診療医典』によると,抑肝散加陳皮半夏は抑肝散より虚証で,全身倦怠などの神経症状を伴う症例や,疲労症に適用されると述べられている。以上から考えると,抑肝散は,強い怒りをぶつける者,逆に落ち込んだ者の両方に適用できるものと考えられるが,後者の弛緩沈鬱型において,疲労感や倦怠感が強くなれば抑肝散加陳皮半夏が選択肢に入ると考えてよいであろう。
筆者の経験上,抑肝散は怒りをぶつける側の人間か,怒りを怒りで跳ね返してしまう者に処方している。一方,抑肝散加陳皮半夏は,怒りを跳ね返せなくて心にため込んでしまい,体調不良を起こしている者に投与している。また,その体調不良が胃にきたり,食欲が低下したりするようであれば,さらにコウジン末を追加している。抑肝散加陳皮半夏にコウジン末を加えることで,漢方の胃薬である六君子湯の六味(甘草,茯苓,蒼朮,陳皮,半夏,人参)を作ることができる。
理想的な処方は,攻撃側と受け手側両方に処方することであるが,攻撃側に抑肝散を処方することがしばしば困難であれば,受け手のみに抑肝散加陳皮半夏を処方すればよい。服用することによって,怒りをうまくうけ流せるようになった症例を複数経験した2)。
本症例は,他人に怒りをぶつける行為(緊張興奮型)と,逆に怒りをためて体調を崩してしまう状態(弛緩沈鬱型)の両方が認められた。抑肝散単独でも有効であったかもしれないが,怒りをため込むことと胃が痛くなることに着目した。初診時に怒りが強い場合には,まずはそこから治療するとその先がスムーズになることがある。また,症状の背景に怒りがある場合,まず抑肝散(加陳皮半夏)で怒りを抑えると,それまで表に出ていた複数の症状が改善することがある。