本邦では年間24万人の味覚障害患者が医療機関を受診していると報告されている1)。味覚障害の受診者は高齢者に多く,70歳代が最も多い。現時点で味覚障害にエビデンスを持った治療は亜鉛内服療法のみであり,保険適用のある薬物はない。原因が特定されない本症例のような味質が変化するタイプの味覚異常には効果が得られにくい2)。
八味地黄丸は腎虚を補う代表的な補腎薬である。加齢に伴う多岐にわたる症状に臨床効果を発揮する。本症例は漢方を勉強するきっかけになったもので方剤の選択に一貫性がないが,本剤の効果を肌で感じることができた。小柴胡湯や加味逍遥散では効果を認めず,補中益気湯でやや改善傾向を示し,八味地黄丸にて著効を認めたことから,加齢による「気虚」に加えて「血虚」「虚熱」などが存在し,補気・補腎によって改善したものと思われる。高齢者の味覚障害は食欲不振にもつながり,東洋医学的にとらえると消化機能が減弱することによる脾胃の虚に加えてオーラルフレイル,いわゆる口腔内の腎虚の状態ととらえることができ,補気と補腎の適応と考えられる。
八味地黄丸は本来,高齢者の排尿障害や下肢のしびれなどに頻用されるが,『万病回春』(八味丸)には「命門の火衰え,土を生ずること能わず,以て脾胃の虚寒を致し,飲食思ふこと少なく…」,また『当荘庵家方口解』には「命門の真陽を直接補うことによって脾胃を温め,食が進む」と食欲に関する記載がある。胃が著しく虚弱ではない高齢者の味覚異常や食欲不振には適していると思われる。
味覚障害には原因がはっきりしない特発性味覚異常も多い。八味地黄丸を投与した特発性味覚障害152例(平均74.9歳)の転帰を調べた当院のデータでは,「著効」22例,「著効だが他剤の効果を示した可能性あり」31例,「有効」(改善するも治癒には至らないなど)27例,「無効」42例,「判定困難」30例だった。後向きのため厳密とは言えず,随証もある程度は判断していることからシンプルに単剤の効果を評価することは難しいものであるが,参考にしていただければと思う。
他剤を併用したため良好な治癒過程ではあったものの本剤の効果と確定できなかった31例については,ほとんどが本剤に効果を感じて継続希望した。効果がなかった例では向精神薬が必要となる例が多く,漢方医学的には肝の疏泄作用(全身に気をめぐらす作用)を整えることが必要と考えられた。