対話を「発話」と「応答」にわけて考えてみる。発話者と応答者がいて、両者の間でやり取りが行われる。では、「発話」とは、「応答」とは、何だろうか。
【発話とは】
「ひとかたまり」「それまでの人生すべてに影響された何か」「思いを言葉にし尽くすことはできない」「身体も発話する」「たとえ同じ話だったとしても、それは初めて話すことだ」。
まず、発話する前には、話したいことが自分の内から湧き上がる。それを言葉にして初めて発話となる。このため、発話とは「ひとかたまり」のものと考えられる。もし途中で発話が遮られたら、それは「話した」ことにはならない。また、どの発話にも、これまで生きてきた人生に深く関わる言葉である。ゆえに、その思いや背景をすべて言葉として表現することはできない。
だから、発話は「ひとかたまり」でありながらも、発話者の思いや気持ちを、聞き手はすべてを理解することはできない。そして、発話は人生に関わるものであるため、たとえ同じ話題であっても、前回と今回の話は同じにはならない。
私たちは、言葉だけで語るわけではない。心の状態は身体にも表れる。話したいことは身振り手振りや表情、視線となって現れ、時には言葉よりも相手に伝わることがある。
発話は、その人の思いや人生のごく一部である。さらに、思いと言葉を一致させることは難しく、聞き手は発話から相手の気持ちを理解し切ることはできない。だが、そういうものだと受け止められたとき、聞き手─つまり応答者は、どんな態度で発話に向き合えるだろうか。
【応答とは】
「ひとかたまりを話せているだろうか」「ひとかたまりを聞きたい」「話したいことと話していることは一致しているだろうか」「発話を邪魔していないだろうか」「発話者は自身の声を聞く」。
心のあり方は、言葉や身体の動きにも表れる。そのため、応答する立場になったとき、先ほどのような思いを自分の内に持っているかが重要になるだろう。
もし途中で口を挟んだり反論したりすると、相手の話の全体像を聞かないまま答えてしまうことになる。そのため、発話者は「自分の話が聞かれなかった」と感じるかもしれない。また、心の状態は表情や態度にも現れるため、「早く話が終わってほしい」「また同じ話だな」「何か言わなければ」と思いながら聞けば、その気持ちは態度や表情に表れてしまう。
さらに、発話者は自分の語りを通して自分の声を聞く。ということは自分の言葉に影響を受けながら話していることになるから、発話者も発話しながら変化していくのである。
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対話とは、発話と応答の交代、やりとりである。だからこそ、「ひとかたまり」を聞いてから「ひとかたまり」で返すことが対話の基本と言える。討論や議論のように答えを出す場ではなく、互いの経験を分かち合う時間である。そうすることで、互いに影響を与え合い、変化が生まれていくのだろう。
森川すいめい(NPO法人TENOHASI理事)[精神科][対話][発話][応答]