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【識者の眼】「医療化を拒否する妊娠女性へのアプローチとしての助産師立ち合い自宅出産」中井祐一郎

No.5063 (2021年05月08日発行) P.99

中井祐一郎 (川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)

登録日: 2021-04-13

最終更新日: 2021-04-13

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妊娠・分娩は生理的な営みである一方で、女性にとっては自らの生命にも危機が及びかねない戦いでもある。医学は後者の視点から介入を当然と考え、多くの妊娠女性もまたそれを受容している。その一方で、前者の視点から医療介入の最小化の希望や医療介入そのものの拒否を選好される女性もいる。当然のことである。医療を受けない権利は、医療を受ける権利とともに認められなければならない。

問題は、妊娠の帰結として妊娠女性とは別の人…医療を受ける権利を独立して持つ新生児が登場することだ。この新生児の前駆的存在である胎児に権利を認めれば、このような行動は「胎児虐待」として誹られかねない。自己決定をなし得ない新生児に対しては、医療を受ける権利のみが優先される。

自宅出産を希望し医療介入を拒否する女性でも、助産師の立ち合いならと許容される方は多いようだ。元々、ヒト女性は全く一人で分娩を貫徹するのは難しい。古来、分娩という営みは、集団内のそれを自ら経験した女性によって介助されていたというのが一般的であったであろう。したがって、助産師立ち合いの許容は、そのような女性においても納得できる帰結であると考えられる。そこで、助産師の登場である。女性という同じ集団に属する者と考えれば、必ずしも助産師の立ち合いが医療化として忌避されるとは限らない。そして、妊娠女性に対する医療化の拒否における倫理上の問題、すなわち妊娠女性と独立した新生児の医療を受ける権利を守ることもできる。

言うまでもなく、私は自宅出産を推奨しているのではない。唯、熟慮の上で自宅出産を選択した女性を「手に負えない愚か者」として医療者が見放すことは、医療を受ける権利を医療者自身が新生児から奪い取るということでもある…自宅分娩を企図する妊娠女性だけの責任ではないということを指摘しているのだ。開業助産師さんには、このような女性へのご支援も考えて頂ければと考える。

中井祐一郎(川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)[女性を診る]

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