目崎高広 (榊原白鳳病院脳神経内科)
登録日: 2025-03-19
前稿(No.5260)で、直美上等、と書きました。それは若者が医師としてのキャリアを始めるにあたり、保険医としての働き方に絶望を感じているように思えるからです。激務、責務、人間関係、そして医療費抑制策による将来の収入減少。働く場所を選ぶ自由まで奪われかねず、がんじがらめの人生で幸福な家庭を築いていくことも叶わないなら、いっそ自由診療を……という気持ちは痛いほどわかります。沈没する船に乗る人はいません。正気なら。
では、既に保険医である私たちはどうでしょう。未来に絶望し、行動する若者を羨(妬)ましく眺めながら、一歩を踏み出せず、なんとか逃げ切りたいと念じている人は少なくないはずです。一方で、使命感に燃える人、純粋に医療や研究が好きな人も数多くいて、そんな人たちによって日本の医療は(辛うじて)成り立っているわけです。しかし、いつまでも現場の善意に甘えている現状が将来も機能するとは思えません。疲弊して現場を去る人たちが既に大勢います。「静かな退職」「立ち去り型サボタージュ」ですね。人は静かに溺れるのです。
まず、世に出た言葉は後者でした(小松秀樹先生)。激務に燃え尽きて過酷な現場を去っていく「立ち去り型サボタージュ」。本人には緊急避難措置ですが、医療界では否定的な文脈で語られることが多かったと思います。そして昨今では「静かな退職」。もはや医業への熱意はなく、最低限の仕事だけして体面を保ち収入を確保する。雇う側からすれば「数の確保」以外に利点はなく、懸命に働いている同僚からも疎んじられますが、もはや気にしない。
しかし、これらを個人の弱さや狡さで語っていては何も解決しません。なぜそうなったのか。保険診療に魅力も将来性もないからだと私は思います。働き方改革が始まっていますが、診療報酬を極限まで絞られて経営余力を失った医療機関は、職員をいかに安く多く働かせるかに注力するばかりです。労働環境改善と報酬増加とが両立する余地は、医療の場では考えられません。「ここから逃げたい。でもほかに行くところがない」というのが、多くの臨床医の実感ではないでしょうか。もちろん建前ではそんなこと言いませんし、インタビューを受けるのは常に勝ち組。勝ち組がいかに誠実に語っても、それは「生存者バイアス」を免れません。後ろの扉の奥には死屍累々。現場の人間はそれを知っています。
だから通常の保険診療に活気を取り戻すには、脅しや強制力ではダメです。人として当たり前の生活を保証すべきです。それには医療界の体質改善はもとより、経営に疲弊した医療機関に潤いを与えることが重要。診療報酬を下げることしか考えない国の医療が崩壊するのは必然です。真面目に行うほど赤字が増える医療行為のなんと多いことか。
次稿は私が専門とするボツリヌス毒素療法について、その惨状を書きたいと思います。
目崎高広(榊原白鳳病院脳神経内科)[診療報酬][働き方改革][立ち去り型サボタージュ]