19年間勤めた札幌の病院の引っ越しがひと段落ついた。同じ法人内の総合病院と循環器単科病院が統合し、以前の病院から1km程の再開発地域に新病院を開設したのである。エイプリルフールの開院当日、退院できなかった2病院の患者さんを救急車やバスで移送した。救急部医師、循環器内科医師らがレスピレーター管理をしながら、看護師、クリニカルエンジニア、臨床検査技師、事務職員など職員総出でトラブル無く引っ越すことができた。組織の底力と若いエネルギーをあらためて実感した。土壌の異なる2病院の職員が、融和しながら力を発揮することができる環境づくりがこれから必要である。
今回の引っ越しで、私自身思うところがあった。これまで少しずつ荷物を処分してきたが、どうしても捨て切れなかった物で部屋が溢れていた。今後も使わないと思われる9割のゴミの中から、1割の大切なものと、宝物を発掘しようと、覚悟を決めた。本棚やロッカー内の書類を丁寧に確認、整理した結果、医師になって44年、大学時代の研究の生データ、PCRやウェスタンブロットの電気泳動ゲルの写真、夥しい数のスライドから染色済みや未染のプレパラートまであった。この中で残したものは、万年筆で記されたセピア色の恩師の書簡や仲間からの本音の手紙であった。これまでの整理では、いつか報告しようと大切な1割に入っていた、未発表のデータを迷いなく9割の群に入れた。
大切なものとして残した1割は、私の成長を支えてくれた誠実なひとを思い起こさせてくれるものたちだ。写真からではなく手書きの文字から、40年前の恩師の仕草や、妊娠初期の私の代わりに放射性元素を使った測定をしてくれた先輩の腕まくりしたシャツ、実験室の台などが鮮明によみがえってくる。この宝たちはきっと、次の整理のときにも1割の中に残り続けるだろうと思う。
30年前に立ち上げた思春期教育の研究会で作成した、10年間にわたる資料の内容の変遷も気になった。大学で先輩から引き継いだ思春期外来を担当するうちに、子どもたちの学校や社会で受けている疎外感と家族の焦燥感が伝わってきた。子どもたちが集えるプラットホームをつくろうと始めた活動記録だ。
ものの価値は、持ち主の経過した年代によるものだと改めて感じた。捨てたものを改めて見ると、自分は挑戦をやめてしまったのか、それとも価値を冷徹に見きわめるようになったのか、考えがともに出てきた。
デジタルデータと格闘する日々の中、紙に万年筆の青いインクで書かれた文字の姿から、前頭前野と側頭葉にまたがる膨大な情報が存在していたことに気づき驚いた引っ越しだった。
藤井美穂(社会医療法人社団カレスサッポロカレス記念病院次席院長)[新病院][引っ越し]
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