感染症は人類と共にある。微生物のほうがはるかに古く、我々は彼らの増殖の場に過ぎない。しかし大部分の微生物は病原性がない。病気を起こすのは疾病によって病原体がより能率的に増殖できる場合、あるいは我々の身体が強い防御反応をきたす場合である。
太古の昔、少人数の集団が狩猟採集を行っていた時代の感染症は、獲物からの人獣共通感染症あるいは集団内の濃厚接触による性感染症や垂直感染などに限られていた。約1万年前に農耕が始まると、ヒトは飢えの心配から解放された。効率の良い農耕には共同作業が必要である。人々が共同生活をするようになると、空気感染が流行するようになった。また、牧畜による人獣共通感染症が始まった。さらに人々の移動がこれを広げる。
紀元前5世紀ペロポネソス戦争で、文化的経済的にスパルタよりも優位にあったアテネを敗北に導いたのは“アテネの疫病”であり、ギリシア重装歩兵を率いてインドまで兵を進めたアレキサンダー大王は、インド北部の地方病だったハンセン病を地中海世界に持ち帰った。その後覇者となったローマは、安定した統治で、道路網や法の秩序、上下水道や医療など社会資本を整備したが、イタリアの地方病だったマラリアを地中海世界全域に広めた。暗黒時代と言われる中世だが、気候は温暖でありローマ教皇を頂点とするカトリック教会と、皇帝、国王を頂点として封建諸侯が農民を統治する社会は安定していた。
これを書き換えたのが11〜13世紀の十字軍遠征とモンゴル帝国の勃興である。聖地エルサレムをめざした十字軍兵士はイスラム文化を持ち帰る一方、ペストをも持ち帰った。ペストは18世紀まで何度も欧州全土で流行を繰り返し、地域によっては人口が半減する。ペストの流行には、シルクロードによる東西交流を確立したモンゴル帝国も深く関与する。中国でも元代にペストの流行があったが、元寇の兵船を沈めた神風のおかげで日本では流行の記録はない。16世紀のコロンブス交換と梅毒の移入、18世紀産業革命と結核の蔓延など歴史上の出来事と感染症は大きな関連がある。
一方、19世紀から20世紀にかけて、病原体の発見とワクチン、抗微生物薬の開発、そして21世紀に入り遺伝子レベルで感染症の確定診断と分子疫学的解析による流行予測、ワクチン開発、薬剤耐性の予防が可能となってきた。今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の後も新たな感染症は必ず出現するが、我々の日々の教育・診療・研究は必ずこれに打ち勝つことができるはずである。
早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[医史]
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