No.5030 (2020年09月19日発行) P.59
大野 智 (島根大学医学部附属病院臨床研究センター長)
登録日: 2020-09-03
最終更新日: 2020-09-03
先日、最高裁にて画期的な決定がくだされた1)。非科学的な力による難病治療を標榜していた被告人が1型糖尿病の男児に対して「治療」と称して両親にインスリン投与を止めさせるように指示し、衰弱死させた悲惨な事件が2015年に起きた。その被告人に未必の殺意があったと認められ、殺人罪が成立したのだ。
判例本文の内容から、ことの経緯を母親の心理面に焦点をあてて整理する。母親は、被害者となった男児が難治性疾患である1型糖尿病に罹患したことに強い精神的衝撃を受け、何とか完治させたいと考え、藁にもすがる思いで被告人に治療を依頼している。そして被告人は「インスリンは毒」「指導に従わなければ助からない」などと脅しめいた文言を交え、執拗かつ強度の働きかけを行い、その結果、母親はインスリンの不投与等の被告人の指示に従う以外にないと一途に考えるなどの精神状態に陥り、不幸な転帰をたどってしまった。
このような事例が再び起きないようにするために、医療者として何ができるのか考えてみたい。補完代替療法の問題点(過去の記事No.5015参照)を注意喚起することは対応策の一つかもしれない。しかし、いくら注意喚起を行っても、世の中から怪しい施術・療法がなくなるわけではない。では、患者や家族に丁寧に分かりやすく治療の必要性を説明すればよいのであろうか。残念ながら、人は正確な情報を与えられても、合理的に最適な選択ができるわけではない。事実、今回の事例でも母親はインスリンを投与しなければ男児は生きられないことを認識していた。また、“注意喚起”も“丁寧な説明”も患者の自己責任論に与する可能性がある。筆者個人の意見になるが、病気と診断された時、患者やその家族を襲う不安や悩みに対するケアが十分に行われれば、“藁にもすがる思い”をしなくてもよいのではないか、そして怪しい補完代替療法の被害に遭うリスクを減らすことができるのではないかと考える。
【文献】
1)最高裁判例:平成30(あ)第728号 殺人被告事件(令和2年8月24日最高裁判所第二小法廷決定)[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/649/089649_hanrei.pdf]
大野 智(島根大学医学部附属病院臨床研究センター長)[統合医療・補完代替療法⑨]