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【識者の眼】「臨床研究の重要性:高木兼寛の偉大さに学ぼう」浅香正博

No.5031 (2020年09月26日発行) P.63

浅香正博 (北海道医療大学学長)

登録日: 2020-09-07

最終更新日: 2020-09-07

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わが国では研究といえば基礎研究が主体であり、臨床研究は二次的なものである。文部科学省の科学研究費も高額なものが臨床研究に当たる可能性はほとんどない。しかし、良くデザインされた臨床研究はきわめて高いレベルの研究であり、どのような優れた基礎研究を行っても、臨床研究で科学的な評価を受けないと臨床応用はできない。臨床研究の特徴はマクロの目で全体を鳥瞰できることであり、そのため基礎研究で十分明らかでないことも予測できる可能性を有している。

明治時代、海軍省の医師高木兼寛は1875年より5年間にわたって英国セント・トーマス病院医学校に留学し、最新の英国医学を学んで帰国した。高木は英国で学んだ実証医学を応用して、当時日本海軍で猖獗をきわめていた脚気に果敢に挑戦した。現在では、脚気の原因はビタミンB1の欠乏症とわかっているが、当時、ビタミンはまだ発見されていなかったので原因が全く不明であった。高木は遠洋航海に出る軍艦を利用して、従来の白米食に代えて高蛋白、低炭水化物の食事を取らせ、脚気の発症をほぼ完全に抑制し、その成果をすぐ応用して海軍における脚気の撲滅に成功する。これに対して陸軍の森林太郎(森鴎外)は、白米が栄養学的に麦米より優れているという理由から激しく高木を攻撃し、陸軍の兵食を変更しなかった。その結果、日清、日露の両戦争により陸軍では3万人以上が脚気で亡くなるのである。改善食が徹底していた海軍では脚気による死者を1人も出していない。それにもかかわらず、森は陸軍の軍医総監にまで出世し、日本医学界のリーダーの1人となった。高木は最終的に海軍の軍医総監に就任し、東京慈恵会医科大学を創設したが、わが国の医学会から十分な評価を受けないで亡くなっている。しかし、海外での評価はきわめて高く、Lancet誌も彼の業績を絶賛している。未知の領域に挑むのに、実験医学からではなく、臨床研究を応用した実証医学によって原因不明の脚気の予防に成功した高木は、まさに英国のジェンナーが種痘により天然痘を予防したのと同じ大きな功績をあげたのである。

このような伝統があるのにわが国の臨床研究は一向に発展せず、臨床研究の超一流雑誌の掲載順位はブラジルやインドにも抜かれて25位にまで下降している。私は、医学研究の目的の大半は病に苦しむ患者への還元にあると思っている。それ故、臨床研究の重要性を今一度考え直し、高木兼寛への回帰を提言したい。

浅香正博(北海道医療大学学長)[臨床研究]

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