No.5107 (2022年03月12日発行) P.61
小豆畑丈夫 (青燈会小豆畑病院理事長・病院長)
登録日: 2022-03-01
最終更新日: 2022-03-01
最近の在宅医療機関のSNSを見ていると、新型コロナ第5波で医療逼迫が起きた地域では、在宅看取りが急増したことをアピールする内容が散見されます。これは、在宅看取件数が在宅医療機関の評価項目のひとつだからです。在宅看取りには加算点数が付くことからも、国が在宅看取りを推奨していることは明らかです。一方で、病院においては外来患者数や手術件数、救急車応需数を病院機能の指標として掲げることは通常ですが、病院死亡者数を宣伝する病院はありません。病院で亡くなった場合に加算が付くなんてこともありえません。
病院医療と在宅医療の常識に乖離があるわけですが、この乖離に違和を感じている人は少ないようです。それは、在宅医療と病院医療の担当者が異なることが1つの原因だと考えます。私はこの2つの医療をセットとして提供する医療を行い、提案もしています(『在宅医療の真実』光文社刊)。両方の医療を提供する医療者の視点に立つと、この乖離に強い疑問を感じます。この乖離の裏に見え隠れするのは、「人は病院よりも在宅で亡くなるべきである」という考えだと思います。私は、この考えが社会の常識や患者さんに与える影響について、不安を感じ続けています。
その不安の理由について、半年ほど考え、医療者や患者の立場にある方と意見を交換した結果、少し考えの整理ができました。それは、在宅看取りが良いことであると宣伝されればされるほど、日本の医療において「在宅医療を受けた以上、在宅で看取る(看取られる)べきである」という社会通念が造られる恐れだと、考えています。在宅看取りの増加を当たり前の良いこととして無批判に宣伝する医療者の態度は、在宅で終末期医療を受けている患者さんや神経難病などで在宅医療を受けながら生活している方々に対して、「あなたは体調が悪化しても病院に入院せずに、在宅医療で完結することが望ましいのですよ」という無自覚な意識を生み出し、無言の圧力を与えてしまうのではないでしょうか?
これは新型コロナで医療逼迫の恐れがあった頃、人工呼吸器を装着する人間の優先度を決めておこうと考えた「医療の優先度」の問題が出たときにも、同じような雰囲気が医療界にありました。どんな人でも、その病態に適した治療は受けられるべきです。それを、無言の圧力で制限してしまうことの恐れを、医療者は考えてみるべきではないのでしょうか?
小豆畑丈夫(青燈会小豆畑病院理事長・病院長)[医療の正義③]