組織マネジメントの領域では「心理的安全性」という言葉が市民権を得て、すっかり定着した感がある。しかし、前稿(No.5264)で紹介したアダム・グラントの『ギブアンドテイク』では、経営学者の楠木 建氏がpsychological safetyを「心理的安心感」と監訳している1)。psychological safetyとは、率直な意見を述べても安心と信じられる文化であるため、「心理的安心感」のほうが適訳と考えられる。
「心理的安心感」を初めて指摘したのは、エドガー・シャインとウォーレン・ベニスで、1965年のことである2)。1990年に従業員の「心理的安心感」が、組織への自発的貢献意欲を高めることをウィリアム・カーンが明らかにした3)。1999年には、エイミー・エドモンドソンが「心理的安心感」はチームレベルの現象であり、同じ組織でもチームによって大きく異なるという研究論文を発表し4)、組織マネジメントの分野で一大ブームを巻き起こした。
命を預かる医療において、「心理的安心感」など甘いという意見を聞くことがある。しかし、エイミー・エドモンドソンが「心理的安心感」の必要性に気づいたのは、病院である。
もちろん「心理的安心感」があれば、組織やチームが成功するというわけではない。だが、できるはずのことができない状況は、どのような組織も避けるべきであり、「心理的安心感」は、できることは確実にできる状況をつくる土台となる。失敗からいち早く学び、情報収集し、対策を練るには、失敗というネガティブな情報を当事者からすぐに挙げてもらう必要がある。リスクマネジメントの要諦は、報告する文化を醸成することと言える。リスクマネジメントの上でも、成果をあげるためにも、「心理的安心感」が有効である実証研究が多国から報告され続けている。
チーム医療が医療の成果をあげるために必須なことは言うまでもない。しかし、制度的に医療現場では医師に多くの権限が集約されており、多職種は医師の指示の下で働く。日本に限らず、一般産業においても「心理的安心感」を組織が獲得するのは簡単ではない。さらに医療現場では既述の特色がある。事実、病院では特に医師に対して、エラーに対する指摘が困難であるという5)。
医療現場では、医師には人の話を聴く訓練、医師以外の職種には自分の意見を伝える訓練が求められよう。
【文献】
1)アダム・グラント:GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代. 三笠書房, 2014, p145.
2)E.H.シャイン, 他:T-グループの実際 人間と組織の変革. 岩崎学術出版, 1969, p68-72.
3)Kahn WA:Academy of Management Journal. 1990;33:692-724.
4)Edmondson A:Administrative Science Quarterly. 1999;44(2):350-83.
5)大坪庸介, 他:実験社会心理学研究. 2003;43(1):85-91.
松原由美(早稲田大学人間科学学術院人間科学部教授)[組織マネジメント][心理的安心感]