スティグマという言葉を初めて海外の医学雑誌で見たとき、宗教用語(「聖痕」)の転用とわかりましたが、医学の世界で何を意味するのか、要領を得ませんでした。今もよくわかりません。私の解釈は「十字架を背負う」という言葉の十字架に相当する意味で、不幸な運命の自覚、といったことかと思います。しかし、国立精神・神経医療研究センターのホームページには、日本語の「差別」「偏見」などに対応する言葉と書かれており、内的な重荷の感情ではなく、外的な危害を意味するようです。解説を読み進めると、両方の意味が書かれていますが、それなら実にあいまいな言葉です。こんないい加減さが、科学の世界で許されるのでしょうか。
パーキンソン病。これがスティグマになるとのことです。「病」を外せ、という意見が海外の雑誌に出たことがあります。そのため、一部の著者は今も「Parkinson’s」と書いて「disease」を省略しています。
いくら何でも行き過ぎだと思います。
しかし、任意の単語に対して「差別的だと思うか」と大勢に質問したら、思わぬところでyesと答える人がいます。それをよいことに「差別だ!」と叫ぶとき、現代の心優しい世界では「いや、こんなの差別じゃない」と否定するには大変な勇気が要ります。声の大きい人が「じゃあ用語を変えよう」と言い出したら、もう止められません。
こうしたことが、日本でもしばしば起こっています。所定の手続きを踏んで用語を改定する際、大半の学会は、我関せず焉、です。専門家たちが「差別用語だ」「変えよう」と言うなら、まあ従おう、という感覚なのでしょう。私が所属する日本神経学会の用語委員会はもう少し気骨がありますが、それでも衆寡敵せずで、いつも少数派です。
最後の砦として、パブリック・コメントがあります。もう大体決まってから受けつけるので結果が変わることはないのでしょうが、私はここへ詳細な理由を書いて用語変更に反対したことがあります。しかし、結論は信じがたいものでした。そのまま引用します。
「特に新たに寄せられた意見はなかった」
おいおい、です。私の意見は? ホームページの不具合で届かなかったのでしょうか。では、共に反対したはずの知人の投稿はどうなったのでしょうか。
公務員の知人に愚痴ったら、パブリック・コメントを亡きものにするのは「絶対にしてはいけないこと」だそうです。でも起こっている。つまり、最初から出来レースなのです。
誰かがスティグマを訴え出たら、この「優しい世界」は検証を許しません。それはお気の毒、じゃあ言葉を変えましょうか。その後の手続きは、自動運転のようなものです。もちろん順当な改定もありますが、無実の言葉を殺す魔女狩りが横行しているようです。しかも、旗振り役の業績になるから魅力的ですね。うまくいけば歴史に名が残り、たとえ失敗しても、そのとき、その人はもう(大概)現場にいませんから。
目崎高広(榊原白鳳病院脳神経内科)[スティグマ][医学用語][言葉狩り]