我々医師は、医学部においていかに疾患の治療を適切に行い、人の命を救うかを徹底的に教育されてきた。もちろんそれは日本の医療の根幹を形作るものであることは論を俟たない。
筆者も卒後2年間、千葉県救急医療センターで救急医療に携わり、1分1秒でも患者の命を長らえることにある種のやりがいを感じていた。ただ、大学受験の時に当時ベテラン(?)医師であった父に医学部を目指すと伝えたところ、「医師は人の命を救うことを勝利と考えてはいけない。なぜなら、人はいつか必ず死ぬので、勝負は最終的にはすべて敗北で終わるからだ」と言われ、また、「医師の仕事にはどのように安らかに死なせるかということも含まれる」とも言われた。当時二十歳前で、自分が死ぬこともあまりイメージできなかった筆者は「はあ、なるほどね」くらいにしか思っていなかったが、医師として年数を積み重ねていくうちに、これらの言葉が次第に身に染みるようになってきた。
最初のうちは、自分が勤務していた病院で担当した患者、あるいは開業後の在宅診療で担当した個々の患者に対して感じていたが、最近は地域医療の構築に関わる身となり、日本の医療体制の中で、終末期に本人の望まない医療を受けるケースがあることを学ぶようになった。そして、実は医療を提供する側にも、積極的な治療をせざるを得ない事情があり、現場の医師、あるいは救急隊が苦しんでいるケースも多いことが明らかとなっている。さらに、医療を提供する側、医療を受ける側が双方とも苦しんでしまうケースも少なからずある。その理由の一つとして、「経過を見る」行為の中に、「見殺しにする、放置する」という考え方と「見守る」という考え方の対立がある。
この連載では、なぜそのようなことになってしまうのか、それを避けるためにはどうすればいいのか、最近、巷で話題となっているACP(advance care planning)、尊厳死、救急蘇生時の対応についての消防庁、各学会の見解などを、個人的な見解も含めて述べようと思う。
杉浦敏之(杉浦医院理事長)[人生の最終段階における医療①]