Kさんの双極性障害(躁うつ病)は30歳を過ぎて始まり、躁状態のときに夫に離縁され、3人の娘さんを残して九州に戻ったのが50歳を過ぎてからだった。私が勤務していた精神科病院の初診時には、気の毒なくらいしょげ返っていた。入院は2年半に及び、時折軽躁を呈するくらいになって退院した。頼るべき実家はなくなっており、単身生活を続けながらも、交友関係は広く、誰とでも意気投合し、ピクニックに行ったときの写真を、外来通院のたびに見せてもらった。キリスト教の教会に通い出したのも、その頃だった。
残した3人の娘さんとはやりとりがあり、それぞれが結婚するたび、写真が送られてきて、私もよく見せてもらった。この母子交流は、もちろん父親には内密であり、娘さんがわざわざ母親に会いに九州まで訪ねてくるのも、秘めごとだった。
病院の外来でKさんを10年間診たあと、私が開業を思い立った際、記念の写真にと、私を診察室や中庭、玄関前に立たせてパチパチ撮ってくれたのもKさんだった。それらの貴重な写真は、今でも手元に残っている。
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