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【識者の眼】「人間、人生の全体を考える」田畑正久

No.5030 (2020年09月19日発行) P.58

田畑正久 (佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)

登録日: 2020-08-19

最終更新日: 2020-08-19

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新型コロナウイルス、安楽死、尊厳死など、人間の生命に関わることがマスメディアに出ない日はありません。これらは「人間をどう見るか」「人生をどう考えるのか」という課題が現れているのだと思います。

医療関係者の傾向として、現代科学を総動員して治療にあたろうとします。これは尊いことで、患者はその恩恵を受けることになります。しかし、医療者が最善を尽くしても患者が力尽きて「死」に至ることも避けられません。医療者の多くは科学的思考で訓練されてきています。そのために「死んでしまえばおしまい」と考えて取り組んでいるのです。

十数年前、『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム著、NHK出版)という本が話題になりました。この本の著者は偶然、大学時代の恩師であるモリーさんを見かけます。モリーさんは筋萎縮性側索硬化症(ALS)だったのです。忍び寄る死の影。しかし、師の顔には昔と変わらぬ笑顔がありました。「この病気のおかげで一番教えられていることとは何か、教えてやろうか?」。そして、老教授の生涯最後の授業が始まります。

モリーは海のエピソードを教えます。「小さな波は海の中でぶかぶか上がったり下がったり、楽しい時を過ごしていた。気持ちのいい風、すがすがしい空気……ところがやがて、ほかの波たちが目の前で次々に岸に砕けるのに気がついた。『わあ、たいへんだ。ぼくもああなるのか』。そこへもう一つの波がやってきた。最初の波(小波)が暗い顔をしているのを見て、『何が、そんなに悲しいんだ?』とたずねる。最初の波は答えた。『わかっちゃいないね。ぼくたち波は皆、砕けちゃうんだぜ! 皆なんにもなくなる! ああ、おそろし』。すると二番目の波がこう言った。『ばか、分かっちゃいないのはおまえだよ。おまえは波なんかじゃない。海の一部分なんだよ』」

小波は穏やかな波の状態を「私」と思い、その状態を当たり前、当然の事と思っていたのです。そして、刻々と変化する自然現象(自然な姿、縁起の法による変化)によって起きた強い波を見て、「ぼくもああなるのか」と混乱が引き起こされたのです。小波は穏やかな海を本来の姿と考え、その状態を局所的、近視眼的に見て、海の全体像が見えていませんでした。

我々医療者は、人間、人生の全体を考え、「老病死」に対処することが求められています。それには、仏教文化を含めて、人類の文系文化を総動員する必要があります。

田畑正久(佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)[医療と仏教]

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