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【識者の眼】「僕らは鳥居に石を投げない」西 智弘

西 智弘 (川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)

登録日: 2022-08-05

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「神社の鳥居に向かって石を投げる人はいない」

僕はそうだ。あなたはどうだろうか。たぶん、ほとんどの人はそんなことはしない。

でも、

「じゃあ君は、神道の信仰者なんだね」

と言われたら、いや違う、とほとんどの人が答えるだろう。

僕は緩和ケアの外来で、すべての患者さんに「信仰がありますか?」と尋ねているけど、その答えのほとんどがNoだ。日本人のほとんどが無宗教と言われるし、みんなそう思っている。

でも実際には、日本人は信心深い民族だ。

初詣には行列ができるし、節分には豆を撒くし、鳥居には石を投げない。

もっと身近な例で言えば、お辞儀をしたり、お箸を使ったりするのも宗教由来だし、「もったいない」なんて言葉もそうだったりする。

信仰というのは本来、僕たちのこころを守る「鎧」のようなものだと思う。

別に、神様仏様を拝むなんてことがなくても、「あなたはお祖母ちゃんの生まれ変わり」とか「お父さんが空から見守ってくれているよ」って言葉に違和感がないなら、あなたは先祖(死者)とのつながりの中で自らの生死を扱う「鎧」を持っている。そのちょっとした意識下の意識が、生者と死者の枠を超えて、人が孤独になることを防いでくれる。

人が死に向かっていく中で、こういった「無意識の信仰心」が意外と心を支えることがあるのを、僕は何度も見てきた。

でも、こういった「無意識の信仰」すら喪われつつあるのが今の日本のような気がしている。

無意識の信仰は、家(イエ)制度や生活習俗の中で、親から子へ脈々と受け継がれてきたもの。生活の中に溶け込み、知らず知らずのうちに育まれてきたもの。

逆にそれほど生活と一体化してきたが故に、一つひとつの作法や儀礼の意義を知る人も減った。そして習俗は単なる「儀式的なこと」に成り下がった挙句に、イエ制度の崩壊や多様な価値観の追求の結果として伝承もなされず、これまた「知らず知らずのうちに」喪われていく。

その結果、イエや信仰といった「自分を守る鎧」としての枠組みが弱くなってしまった現代の日本人は、裸同然の「剥き出しの個人」として死と対峙しなければならなくなってきているのではないだろうか。

その結果として、医療の現場では何が起きているか。それについては次回にて深掘りしていければと思う。

西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[信仰][宗教]

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