ChatGPTなどに代表される生成系AIがいろいろな場面で活用されはじめているのを見聞きすると、星新一のショートショート集『ボッコちゃん』1)に収録されている「肩の上の秘書」という短編を思い出す。
遠くない未来に暮らすすべての人々の右肩には、美しいインコのロボットが止まっている。自分が話したいことの要点を小声でインコに話すと、インコが代わりに適切な表現で相手に話してくれる。相手側も直接答える代わりにまずインコに伝え、やはりインコが適切な語調に変換して話してくれる。このように、人々は常にインコを通して会話しているので、お互いどんなに辛辣な応対をしようと、気分を害することがない。訪問販売、上司と部下の意見交換や育成指導、接待を伴う飲食店、あらゆる場でインコは効力を発揮していて、人々はそれで円滑に生活しているのである。
昔から手紙やメールには、時候の挨拶や定型文の雛形がある。これをさらに応用して、プライベートなら謝罪文やラブレター、業務ならマーケティングやクレーマー対応、ヘッドハンティングや自己アピールなど、相手に合わせてちょっと気が利いた文章を書くことだって、AIのほうが得意であろう。
スピルバーグの映画「A.I.」2)でも、少年型ロボットや育児型ロボットが出てきて、そのやさしさにほろりとしてしまうが、観客がロボットを見ていてそう感じるのは、「育児」というものについても「型」があり、どう接すれば母と子の心が落ち着くのかということが、人間のほうでも脳内学習されているからだろう。
つまり感情を伴うような対人サービスであっても、ある程度パターン化されているものと、想定をできないものがあって、そのような中でAIやDXをどう活用していくのかが今後、少子高齢化を迎える世界の課題である。
感染症対策や健康危機管理のような予測や準備が難しい分野においても、様々なパターンをAIに入力し続けていけば、意外と妥当性と実行性のある計画が立てられるのかもしれない。
我々の世代が子どもの頃に読んでいた、星新一やドラえもんの中に描かれていた近未来の道具が次々と現実化し、ウェブ会議システムやスマートウォッチ、ドローンや3Dプリンターなどといった形で目の前にあるのは、妙な既視感がある。そのうち、新世紀エヴァンゲリオンで描かれていた、文明が一部崩壊し、人類が減少したことにより、生態系が戻った自然あふれる未来も、いつか本当にやってくるのかもしれない。
そして今の子どもたちがアニメや小説で見ている未来はパラレルワールドやタイムリープ、クローンが存在する世界であるが、これらも将来、異次元が発見されるとか、タイムマシーンが発明されるとかして、本当に「懐かしい未来」になるのだろうか。
【文献】
1)星新一:ボッコちゃん(新潮文庫). 新潮社, 1971.
https://www.shinchosha.co.jp/book/109801/
2)Amblin Entertainment公式サイト:A.I. ARTIFICIAL INTELLIGENCE. 2001.
https://amblin.com/movie/a-i-artificial-intelligence/
関なおみ(東京都特別区保健所感染症対策課長、医師)[生成系AI][chatGPT]