今となっては笑い話ですが、紙カルテから電子カルテへ移行する際、私たちは大きな不安を抱えていました。未知への不安は常に人の心に影を落とします。電子カルテの最大の利点は「読めること」だと、しばしば冗談交じりに語られますが、確かに紙カルテの最大の欠点は、判読困難な手書き文字でした。他人の診療録を読み解く作業は、まさに修行で、電子カルテネイティブの若い医師には想像もつかないことでしょう。
1968年、米国の内科医Lawrence Weedは、medical records that guide and teachという論文をThe New England Journal of Medicineに特別寄稿し、診療内容を問題単位で構造化する「問題志向型医療記録(problem-oriented medical record:POMR)」の概念を提唱しました。驚くべきことに、彼はこの時点で既に、コンピュータによる記録管理の必要性に言及し、問題単位でのデータ抽出や可視化、教育・カンファレンス・監査の効率化、さらには医療行為とコストの関係追跡による病院経営への応用にまで視野を広げていました。さらに「医療記録やコンピュータが人間性を損なう」という懸念に対しては、「最も人道的な行為とは、自分が何をしているのかを正確に理解することである」と明快に反論しています。
PORMの実践形式として生まれたのが、SOAP(subjective、objective、assessment、plan)です。PORMを厳格に運用している施設では、退院サマリーに各問題の経過と解決が科学論文のように明快に記述されており、自分が患者ならこんな施設で診てもらいたいとさえ思います。私自身も若い頃、その論理性に感銘を受け、SOAP形式で診療記録を記していた時期がありました。
しかしながら、PORM/SOAPの実践は現場での負担が大きく、特に複数の問題を抱える患者では、SOAP記載が煩雑化しがちです。情報の重複、整合性の確保、問題の優先順位の調整など、実務的な課題も少なくありません。さらに、記録方式への理解やトレーニングが不十分である場合、SOAPが単なる形式に陥ってしまいます。多くの電子カルテにはSOAPの形式が導入されていますが、実際には形式のみをなぞり、PORMの本質から逸れてしまっている例が圧倒的に多いです。現在の電子カルテが、PORMにとって最も重要なactive problemsとresolved problemsを提示しない設計になっていることが、問題の一因でしょう。
PORMの理念は、医療の質評価や多職種連携が重視される現代において、評価されるべきものです。特に近年は、AIの進化がこの分野に大きな可能性をもたらすでしょう。AIは、煩雑な記録業務を支援するだけでなく、記録内容の網羅性や一貫性のチェック、異常の早期検出など、医師の認知的負荷を軽減しつつPORM/SOAPの本来の精神を取り戻す手助けにもなりえます。
電子カルテは単なる記録媒体ではなく、医師の思考と判断の軌跡を残す「知的資産の器」です。形式にとらわれず、PORMの精神を活かした柔軟で意味のある記録をめざすこと。それこそが、医療DX時代における、私たちの重要な課題なのかもしれません。
渡部欣忍(帝京大学医学部整形外科学講座教授、帝京大学医学部附属病院外傷センター長)[整形外科医][問題志向型医療記録]