サルがパソコンでランダム(テキトー)に文字をタイピングして文書(もどき)をつくっている仮想世界を思い浮かべよう注。その世界ではサルがつくった文書の表紙に「新薬申請資料」のラベルをペタンと貼って、当局に提出すれば新薬の承認がおりる。ある日、その世界の知恵者が気づいた。「サルの代わりにAIを使って文書をつくれば業務が効率化するぞ! バナナ価格も高騰してるし……」。
画像診断、診断支援などでのAIの有用性を疑う人はいない。AIが組み込まれた医療機器は既に数百を超え、AI信者はさらに新領域への越境を期待する。医薬業界人も「研究開発や承認審査がAIにより効率化される」と鼻息が荒く、既にスクリーニング、薬効予測、申請資料等の文書作成にAIが盛大に使われている。
自称「目利き」の怪しいノウハウや偶然のご褒美(serendipity)頼みだった研究開発に、AIは何らかの「正解」をもたらすと信じられている。しかし、AI使用先のすべてに「正解」がある保証はない。
たとえば、新薬の申請資料のつくり方に正解はあるのだろうか。今の申請資料に業界人は何点をつけるのだろう。「95点くらい?」と答える方は、過去(と現在進行形)の数えきれぬほどの薬害や不祥事から何も学ばぬ不遜な落第生。「一応合格点では? 社会がそれで回っているのだから」の回答も、実は説得力はない。冒頭のサルによる資料作成の世界でも「社会は回っている」のだから。
私には申請資料を採点する勇気はない。毎度で恐縮だが、承認審査には神事の性格がある(必ずしも否定的な意味ではない)。神事の正しさ・点数って何だろう? 合理主義者が「リスクベネフィット評価」と称する経済評価の出来損ないを持ち込んでも、また別の神事が生まれるだけ。神事の採点が土台無理なのに、それをAIがうまく肩代わりできているかの採点なんて無理の二乗である。
AIは役に立つし、何より楽しい。医療従事者を手助けし、患者の健康アウトカムが改善するのであれば、AIがブラックボックスだろうと何だろうと使ってみればよい。がしかし、それは「自分がやってることを自分自身が理解している限りにおいて」という限定つきでないと、子どもの火遊びと同じで危なくて仕方がない。
薬のリスクベネフィット評価や承認審査のような社会的な判断、つまり「ホントのところ自分たちが何をやっているのかわからないこと」を嬉々としてAIにやらせて、「ほら、こんなにできる! ヒトを代替できる!」と喜んでいる能天気な人類の姿を見て、仮想世界でタイピングをしているサルは失笑しているはずである。
注「サルがタイピングをして文書をつくる」は論理学・哲学でよく登場する想定です。「不謹慎だ」などと怒り出さぬように。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[AI][新薬開発]