No.5101 (2022年01月29日発行) P.59
浅香正博 (北海道医療大学学長)
登録日: 2021-12-28
最終更新日: 2021-12-28
胃・十二指腸潰瘍は、20世紀の初頭まで胃がんと並んで致命率の高い疾患であった。当時、胃・十二指腸潰瘍の診断はきわめて困難であり、死後の解剖によって初めて診断がつくケースがしばしばであった。その後、バリウム造影や内視鏡検査の普及により診断は可能になってきたが、安静や制酸剤以外適当な治療法がなかったため、内科医にとっては患者をどう取り扱ってよいのかわからない厳しい時代が続いた。内科医によって治せない多くの胃・十二指腸潰瘍患者が外科手術に回されていたのである。
胃・十二指腸潰瘍治療の最初のブレークスルーは1976年、H2ブロッカーであるシメチジンが発売されたことにより突然やってきた。これまで何種類もの薬剤を大量に投与しても治癒に導けなかった潰瘍のほとんどが、わずか4錠のシメチジンの服薬で治癒に至ったのである。胃・十二指腸潰瘍の診療に従事していた医師の大半はこの時の衝撃を忘れることができないはずである。この瞬間から胃・十二指腸潰瘍の治療が内科医の手によってコントロールされることになった。「酸のないところに潰瘍は生じない」という昔の格言がまさに正しかったと言える。その後、酸をさらに完璧に抑制できるプロトンポンプ阻害薬(PPI)が開発され、潰瘍を治癒させるという点ではゴールが見えてきた。しかし、酸分泌抑制薬を中止すると潰瘍は高い確率で再発を繰り返し、自然史を変えない限り胃・十二指腸潰瘍との闘いは長期間にわたって続くことを感じていた。
1982年、ピロリ菌というグラム陰性の細菌が胃の粘膜から発見されてから潰瘍の成因論は大きな変革を遂げた。ピロリ菌の除菌は消化性潰瘍の自然史をも変えることのできる原因療法で、以後の再発はほとんど生じなくなった。まさに革命的な治療法が出現したのである。この時のカルチャーショックはH2ブロッカーの登場より大きかったかもしれない。それまで十数回も再発を繰り返していた十二指腸潰瘍患者の再発が除菌後、うそのように消失してしまう事実を目のあたりにして医学の凄まじい進歩をまさに実感できた。これが胃・十二指腸潰瘍の治療にとって第二のブレークスルーであった。
胃・十二指腸潰瘍の2つのブレークスルーは、それまで当たり前と思ってきた胃・十二指腸潰瘍の治療の常識を根底から一変させた。患者にとっては、難治性疾患から完治する疾患に変わったのであるから大歓迎であろう。これらブレークスルーを導いたシメチジンの開発者BlackとH. pyloriを発見したWarrenとMarshallは、それぞれ1988年と2005年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
浅香正博(北海道医療大学学長)[胃・十二指腸潰瘍]