No.5144 (2022年11月26日発行) P.58
中村安秀 (公益社団法人日本WHO協会理事長)
登録日: 2022-11-08
最終更新日: 2022-11-08
社会は急速に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック以前の形に戻りつつある。単にコロナ以前の形に戻ることがいいのか、という素直な疑問が生じる。特に日本には、川や海の水に浸かり、ケガレを祓い清める禊(みそぎ)の文化がある。きちんとした科学的検証がなく、失敗から学ぶことをしないまま、以前の社会に戻っていくことを危惧している。
対面の学会や講義の機会が増えた。持続可能な開発目標(SDGs)の「だれひとり取り残されない」という標語を語っても、COVID-19を経験した聴衆の反応は乏しい。しかし、「取り残されたのは、だれなのか?」という言葉で真摯に問い詰めていくと、2020年1月以降の一人ひとりの体験がよみがえってくる。
人工呼吸器をつけて自宅で療養する子どもを持つ家族は、感染を恐れて病院に行きづらく、友人や支援者の訪問も途絶え、都会の中で孤立して過ごしていたという。日本で暮らす外国人には新型コロナワクチンの接種券がなかなか届かず、親の病気のときにも帰国できなかった(当時は、母国に入国するにはワクチン2回接種が必須だった)と涙を流して話してくれた。中国全土からの入国制限をする前の2020年2月27日に全国の小中学校に臨時休校を要請したのは、社会の中で最初に子どもに我慢を強いる無慈悲な施策だったと教師が憤慨していた。府県をまたいだ移動が制限され里帰り分娩をあきらめざるをえなくなり、出産場所を探すのが大変で、新しい病院が決まるまで不安の毎日だったと妊娠中の苦労を語ってくれた母親がいた。
COVID-19のパンデミック以前に当たり前にできていたことが、突然できなくなっていた。ひと言で集約すると、国民皆保険制度によるだれでもどこでも必要な医療が受けられるシステムがうまく稼働しなかったということができる。2020年4月には「うちで治そう」や「4日間はうちで」キャンペーンを提唱し、医療受診の抑制に動いた行政や専門家集団の姿勢も問われることになる。「取り残されたのは、だれ?」という問いかけから見えてくる現実を忘れることなく、次の感染症対策に備えた国や行政の動きを今後も直視続けていきたい。
中村安秀(公益社団法人日本WHO協会理事長)[新型コロナウイルス感染症][SDGs]