甲辰の年の元日に発生した能登半島地震。被災地においても、多くの外国人労働者や留学生などが居住していた。石川県国際交流協会や金沢国際交流財団では、正月三が日のうちに、多言語による緊急電話相談サービスを開始した。石川県においては、従前から、保健医療通訳ボランティアの養成研修が実施され、遠隔通訳会社と連携し多言語サービスが展開されていた。迅速に初動できた背景には、平常時からの実績と経験が生かされたのだと思う。
さて、2023年11月に東京大学でグローバルヘルス合同大会2023が開催された。日本熱帯医学会、日本国際保健医療学会、日本渡航医学会、国際臨床医学会というグローバルヘルスに関連する4学会が3年ごとに一堂に会し、学会の垣根を越えてグローバルな知の交流を図っている。
私は一般口演「外国人保健医療」の座長を務めた。各演者からはベトナム人やミャンマー人の医療アクセス、リスクコミュニケーションの問題、不安や孤独感といったメンタル面など、外国人保健医療の現状と課題を浮き彫りにし、その解決の道筋を示唆するすばらしい研究発表が行われた。会場は東京大学医学部1号館の階段教室。高い段差の階段をのぼり、備えつけの長机に詰めて座るという、バリアフリーとはほど遠い教室に、立ち見も出るくらいに100名以上の聴衆が詰めかけてくれた。私が学生だった1970年代には、医学部の講義の中で、日本で暮らす外国人医療に関する講義は皆無だった。その同じ空間に全国から若い実務者や研究者が集まって、侃々諤々の議論を交わしていることは感慨深いものがあった。
2009年に大阪の仲間たちといっしょに医療通訳士協議会を設立したときには、外国人医療や医療通訳士に関するエビデンスはほとんど欧米の文献に頼るしかない状況だった。大阪梅田のレストランで遅い夕食を食べながら、仲間と議論する中で「医療通訳士」という名称にたどりつき、商標登録も獲得した。それから、わずか10年余りで、日本国内から様々な研究が生み出され、外国籍の方や留学生の様々なルーツを持つ研究者が発表していることに感動した。特に、医療通訳士という新しい職種の方々が学会に参加し発表している姿は新鮮であった。2020年に国際臨床医学会認定の医療通訳士®制度が発足し、いまでは15言語384名の医療通訳士が活躍している。
「新しい葡萄酒は新しい革袋に入れる」という。在留資格や外国人労働という制度の課題、言語や通訳といったコミュニケーションの課題、文化や宗教という異文化理解の課題など、解決すべき課題はまだ存在している。しかし、多様性に富む様々な立場の方々が実践、研究して発信することにより、新しい葡萄酒を入れるための、新しい革袋の準備が整いつつある。世界的には外国人医療ではなく、移住に焦点をあてたmigrant healthという。日本にも、移民保健医療が定着する日も近いはずだと期待が高まっている。
中村安秀(公益社団法人日本WHO協会理事長)[災害][外国人医療][医療通訳士][移民保健医療]