2025年1月、能登半島地震から1年、そして阪神・淡路大震災から30年という節目を迎えた。2024年に大震災および豪雨災害を経験した能登地方の被災地では、倒壊した家屋やライフラインの復旧が遅れ、いまなお多くの被災者が孤立している。日本では2000年代以降、東日本大震災や熊本大地震などの震災や水害が頻発してきた。阪神・淡路大震災が起きた1995年は「ボランティア元年」と言われ、その後も民間の支援は活発化してきた。こうした災害時の教訓はいかに活かされているのだろうか。本稿では、東日本大震災後の宗教者による災害支援が、のちの医療分野でのケアにいかなる影響を及ぼしたのかを考えたい。
筆者は現在、東北大学大学院文学研究科に在籍し、臨床宗教師の養成に携わっている。臨床宗教師とは、2011年3月の東日本大震災の復興支援の過程で、欧米のチャプレン(医療・福祉現場や警察、軍隊、企業などで「心のケア」に従事する聖職者)をモデルに展開された専門職である。
東日本大震災の被災地では、「カフェ・デ・モンク」と呼ばれた移動式傾聴喫茶が考案された。これは仮設住宅や公民館などを会場にカフェ形式で飲食物を提供し、人々との自然な関わりの中で悩みや困りごとを聴く活動である。この活動を基礎とし、2012年に東北大学大学院文学研究科に実践宗教学寄附講座が設置され、臨床宗教師の養成が開始された。この動きは、龍谷大学や上智大学など宗教系大学に広がり、2016年に日本臨床宗教師会が設立、2018年には「認定臨床宗教師」の資格制度が設けられ、2024年9月時点で211名の有資格者が活動している。活動場所の内訳は緩和ケア病棟が最も多く、在宅医療や一般病棟などを合わせると、臨床宗教師の活動の約4割が医療機関になる。
その担い手は、僧侶や牧師などの宗教者であるが、布教や読経などの宗教活動は一切行わない。臨床宗教師は、倫理綱領・規約に基づく高い倫理性を備え、苦悩や悲嘆を抱えた人々の価値観や信仰を尊重しながらスピリチュアルケアを行う。このケアは、WHOの「健康の定義」改訂議論にみられるように、身体的・精神的・社会的側面だけではとらえきれないニーズを包括する。
臨床宗教師が行うスピリチュアルケアとは、対象となる方のニーズや感情などを傾聴し、本人が自らの「支えとなるもの」を探す(または確認する)営みを支持するものである4)。
たとえば現実的な支えには、「人」や「環境」がある。特に医療現場では、病を前に自らのいのちの限りを見つめる中で、家族や友人などとの関係に支えを見出すことも少なくない。また、多くの患者の「自宅」で過ごしたいというニーズも、住み慣れた「環境」を支えとしていることによる。ただし自宅の場合には、物理的な「家」というよりも、そこで培われてきた思い出や懐かしさなどが重要な要素であることに留意が必要である。スピリチュアルケアで重視されるのは、対象者の日々の生活で培われてきた「文化」や「歴史」を尊重することである。こうした要素は、時にACPの際に本人や家族の意思決定に大きく影響することさえある。
災害や病によって、我々は当たり前の日常を喪失する。そうした人々のケアを行う際に医療者とも連携し、失われた「文化」・「歴史」などを含む一人ひとりの支えを再構築する手助けをするのが臨床宗教師の役目の1つである。
【文献】
1)井川裕覚:スピリチュアルケア研究. 2020;4:31-43.
2)井川裕覚:宗教と社会貢献. 2024;14(2):1-24.
3)谷山洋三:医療者と宗教者のためのスピリチュアルケア 臨床宗教師の視点から. 中外医学社, 2016.
4)谷山洋三・井川裕覚:グリーフケア. 2021;9:49-65.
井川裕覚(東北大学大学院文学研究科特任助教)[臨床宗教師][スピリチュアルケア]