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【識者の眼】「阪神・淡路大震災30年〜風化に抗うには?」榎木英介

榎木英介 (一般社団法人科学・政策と社会研究室代表理事)

登録日: 2025-02-17

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2025年1月17日。阪神・淡路大震災から30年の日を迎えた。

神戸では式典が開かれ、天皇、皇后両陛下が来神された。被災地の人々にとって特別な日となった。

私にとっても例外ではない。神戸に来て四半世紀、被災していない神戸市民として、神戸の復興のために何ができるのかをずっと考えてきた。私はあの震災当時、実家のある神奈川県横浜市にいて、被災はしていない。神戸に来たのは震災から5年後。神戸大学医学部の学士編入制度の1期生になったからだ。以来、震災のことは常に心の片隅に置いている。

神戸大学も大きな被害を受け、39名の学生と2名の教職員が亡くなり、医学部だけでも2名の学生と1人の医局員が亡くなった。病理検査室も大きな被害を受けたと聞いている。

阪神・淡路大震災神戸大学医学部記録誌

あの震災を契機に、医療も大きく変わった。DMAT(災害派遣医療チーム)ができたり、クラッシュ症候群が知られるようになったり、トリアージが普及したのも震災による影響と言われる。震災を教訓に災害医療が発展したことは、私たち医療関係者が胸に刻むべきことだ。

しかし、もう1つ考えなければならないことがある。それは風化だ。

30年は一世代と言われる。子どもは大人になり、被災地では震災を知らない市民が多数を占めるようになっている。いずれ誰も震災を経験していない時が来る。太平洋戦争はもうすぐそうなる。災害は、人間の一生をはるかにこえるスパンで襲い掛かることが多い。被災経験者という当事者が少なくなっていく中で教訓をどう伝えるのか。大きな課題になる。

参考になるのが、戦争体験を伝える「語り部」の存在だ。震災を経験はしていなくても、被災したことがある大学で学び、被災した施設で働いたような、震災に多少でもつながりのある人が、機会をとらえて語り掛けることが重要だ。特に医療関係者は、専門性をもった「語り部」になれると思う。

私も、微力ではあるが、医療施設を訪ねた際は、病理検査室などの耐震の話をしたりするようにしている。また、SNSを通じて防災に関する情報の発信をすることを意識している。

これは阪神・淡路大震災だけに限らない。地震を含め、災害は残念ながらなくならない。読者の皆さんも、今住まわれている地域の過去の災害などについて関心を持ち、医療の立場などから教訓を語り継いでいってほしい。

榎木英介(一般社団法人科学・政策と社会研究室代表理事)[災害医療][語り部][教訓]

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