自営業での残業で疲れをためていた40代の女性が、妄想を伴ううつ病になった。公立総合病院の精神科に2カ月入院し、抗精神病薬と抗うつ薬の治療で妄想はなくなり活気も戻って、めでたく退院した。しかし、数カ月経っても元の経理の仕事がうまくできない、かつての生き生きした表情がない、会話もテンポが遅いという状態を、夫は心配した。通院の精神科外来に同行し、「元の妻の様子ではない」と訴えたが、医師は「妄想もうつもない。ふつうでしょう」と取り合わなかった。「前は経理をこなして、客扱いも上手で、いつも笑顔だったんですが…」。夫の言葉は届かなかった。
抗精神病薬は、もともと統合失調症の妄想や幻覚に対する薬で、その恩恵は非常に大きい。一方近年では、うつ病や双極性障害にも用いられるようになった。認知症の行動心理症状を抑えようと処方されることもまれではない(適応外使用)。この女性にも処方されていた近年主流の非定型抗精神病薬は、従来型(定型)に比べてパーキンソン症状などの副作用は少なくなったことは確かだ。しかし、気分・気力面、認知機能の面に対する悪影響には十分注意が必要である。無気力や認知機能低下につながる「抗精神病薬による欠陥症候群」だ。
最近、抗精神病薬は長期使用しても安全、というスウェーデン・カロリンスカ研究所の研究結果が発表された(Taipale H,et al:World Psychiatry. 2020;19(1):61-8.)。長期服用で高まるといわれてきた死亡率が、実は非服用者よりも低いことがわかったという。50年以上の歴史をもつ国内の医学新聞「Medical Tribune」本年2月6日版にも一面トップで紹介された。
新たな抗精神病薬の開発によって、有害な影響が大きく軽減されてきたことは事実であろう。しかし一方で、この例のように、新規抗精神病薬であっても、気力や感情や認知機能を大きく低下させてしまうことがある。認知症に対してなら、それをさらに悪化させてしまいかねない。処方した精神科医がそれに気づかないこともある。妄想や幻覚やうつが治まっても、元の活気や笑顔や頭の回転が戻らなければ、その人は「治った」とはいえない。
冒頭の女性は夫の導きで他の病院を受診した。抗精神病薬の影響に気づかれ、処方変更を含めた別の治療によって、十分な活気と意欲、豊かな感情と笑顔を取り戻した。経理はもとより仕事上の問題対処も元通りてきぱきとできるようになっていた。
上田 諭(戸田中央総合病院メンタルヘルス科)[精神医療]