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【識者の眼】「情報 vs. 第六感」神野正博

No.5117 (2022年05月21日発行) P.63

神野正博 (社会医療法人財団董仙会恵寿総合病院理事長)

登録日: 2022-05-02

最終更新日: 2022-05-02

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雑学だが、現代の1日分の情報量は江戸時代の1年分、平安時代の一生分の情報量だそうだ。人類という生物の進化を考えれば、たかが1000年くらいで脳が画期的に進化するはずがない。とすれば、同じ容量の脳という情報処理装置と記憶装置で、われわれは数百倍〜数万倍の情報を処理しているということになる。

一方で、コンピュータのほうには“ムーアの法則”というものが約50年前に提唱され、現代にまで続いている。これは、「半導体チップあたりのトランジスタ数が2年で2倍のペースで増加する」というものだ。現代のスマホが20世紀のスーパーコンピュータより計算処理速度が速くなったというのも周知のことだ。

われわれの情報処理は、脳そのものというよりも後者によるところは大きいだろう。われわれはちょっとした時間にスマホに目を落とす。時には、会議中であってもスマホをスワイプしながら見ている失礼な輩もいる。処理しきれないほどのたくさんの情報を目からインプットし、耳は相手の話を聞き、指はメールに返信する。こんな多機能を同時に進行させる能力を人間は獲得したのだろうか。

現在の数万分の一の情報量と揶揄された平安人は不幸だったのだろうか。文字や映像情報は入ってこない。しかし、その分、いわゆる“情報”と定義されないものを感じる。目に飛び込み、肌で感じ、音で感じる草花や気象といった自然の変化、味や香り、さらに時にはオドロオドロしく現れる錯覚など六感を刺激する情報を取り入れる容量が大きかったに違いない。それらのインプットが、アウトプットとしていきいきした和歌や絵画、彫刻、文化として花開いたのだろう。

多量の情報漬けになっている現代人に四季を愛でる余裕があるか。それを文化につなげることができるのか。新緑の季節にスマホを置いて自然を感じたいものだ。そこから第六感としてイノベーションの種が生まれてくるに違いない。

神野正博(社会医療法人財団董仙会恵寿総合病院理事長)[情報処理][イノベーション]

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