政府の規制改革会議で「倫理審査委員会(EC)は倫理的観点に限って審査をすればよい。科学的観点の審査を繰り返すな」といった声が産業界からあったとの記事が。「治験審査委員会(IRB)は日本に1つだけあればいい」といった主張も。
「効率」重視はわかる。海外の前例もわかる。が、臨床研究の問題を科学と倫理に切りわけることってそもそも可能だろうか。たとえば被験者の登録基準(年齢、性別等)の問題を倫理的観点のみから指摘するって、「フェミニズムの発想に欠ける」「カントの義務論は?」「敬老心が足りん!」などと批判するのだろうか?……それって恐ろしく無理があるぞ。臨床研究の諸要素は当然ながらすべて科学の意図と直結しているのだし。
「ECはインフォームドコンセント文書の表現だけチェックすればいいのだ」と内心思っている方々がいるかもしれぬ。が、むろんそれは口には出せぬ暴言である。
昔から日本のEC/IRBは機能不全気味である。各委員が拠って立つ倫理観を示さずに思いつきばかり言うので議論が噛み合わない、結果として審議が些末な事実確認や文言修正で終わってしまう、など。
先日、米国連邦最高裁での中絶薬の審議を見ていたら、製薬企業の顧問弁護士が判事に「あなたたち裁判官は医学・科学の専門知識がろくにないのにテキトーに論文を解釈してしまうので、不安です」と堂々と文句を言っていた。なんと清々しいこと。こうした「堂々と苦言を呈する」文化と度胸がない日本の研究者・産業が、思い込みの強い倫理審査委員の発言に振り回されるのが不満で、倫理審査をチェックリスト風の単なる事務手続きに近づけたいと願うことは、理解はできる。
倫理審査は「そもそもこの研究って意味あるの?」という問いが起点になる。この問いは研究者・企業にとってはメシの種が全否定されかねない相当に不愉快なものだ。が、「科学的な指摘をするな・繰り返すな」は、たとえそれが審査の一場面にせよ、無茶苦茶である。空気を読まぬ発言が望まれる素人(lay person)代表委員の口を塞ぐのに十分な脅しだし、分野を跨いだ医師の意見交換にも冷や水を浴びせることになる。
多くの企業HPに免罪符のように書いてある「高い倫理観」なる言葉が意味不明であるように、「倫理的観点だけの審査」もまったく意味不明である。あ、「倫理審査の規制改革でドラッグラグ解消だぁ!」という浅はかな時代の空気を読まずにこの原稿を書けるのは、私が素人代表だからです。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[規制改革会議]