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【識者の眼】「ヒトを怖がらせる『因果判定』はいけない」小野俊介

No.5226 (2024年06月22日発行) P.65

小野俊介 (東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)

登録日: 2024-06-12

最終更新日: 2024-06-12

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薬の服用(接種)と生じた有害事象の因果的なつながりを、日本のお役所では昔から次の3つに分類してきた。α:因果関係が否定できない。β:因果関係が認められない。γ:情報不足で因果関係が評価できない。このα、β、γだが、コロナワクチン接種後の死亡例の判定があまりに歪んでいて(αが異様に少なく、γがほとんど)、この分類って何かがおかしいのでは、と指摘する報道が増えた。

二十数年前、因果判定の大御所による薬学生相手の講義に立ち会ったことがある。年齢・性別等の患者属性、併用薬、有害事象の発現状況などわずか数行の記載に基づき、学生は有害事象が「副作用」か否か、すなわち因果関係を答えねばならない。

大センセイの威圧感にビビる学生たち。「どうか当てられませんように……」と下を向いてる。不運にも指名された学生たちがボソボソと自分なりの解釈を答えるのだが、大センセイのお気に召すことは当然にない。「君ね、この症例は○○がみられるのだからαです。どうしてγなの?」「こんな情報で判断できるわけがない。γと言うしかない!」。森羅万象を熟知しているが如き大御所にそんなふうに断言されて口答えなどできるはずもなく、涙目の学生たち……今思い返しても悪夢のような講義風景だった(笑)。

当時は私も若かった。あれから四半世紀。経験をそれなりに積んだ今、失礼を承知で当時の大センセイに堂々と口答え致したい。

「センセ、人間がαだのβだのγだのを断じるのは土台無理ですよ」。

本誌読者には釈迦に説法だが、「薬を飲んだAさんに起きたこと」、つまり個別事象の因果に万人が納得する定義を与えること、ましてやその存在を検証することに、人類はいまだ成功していない。ランダム化比較試験で検出できる「因果」が個別事象の因果ではないことは言うまでもない。

副作用(らしきもの)に苦しむ人々に寄り添い、救済する仕組みは社会に必須である。そのためには、神ならぬ人類ができる精一杯のやり方で「因果」を定義し、それを検出する手続きを定めねばならない。が、そうした手段・手続きの帰結を何らかの真理と同一視することには慎重であるべきだ。

コロナワクチンにおける因果判定への不信をきっかけに判定基準が検討されるのは結構である。しかし、そうした検討に取り組む(一部の)専門家たちが「これで因果の真の姿に一歩近づいた」などと勘違いし、二十数年前の大センセイのようなことを言い始めることを私はマジで心配している。

最近の専門家(私を含む)って、わからないことをわからないと正直に言わないから、危ないのだ。

小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[医薬品・ワクチン有害事象因果関係

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