株式会社日本医事新報社 株式会社日本医事新報社

CLOSE

【識者の眼】「かかりつけ医と社会システム論」森井大一

森井大一 (日本医師会総合政策研究機構主席研究員)

登録日: 2025-03-24

最終更新日: 2025-03-21

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

かかりつけ医というのは結局のところ、医療というサービスの供給者と受給者の「中間者」のことだ。医療というサービスが社会化されている以上、供給者とは究極的には政府であり、受給者は言うまでもなく患者だ。

かかりつけ医を「機能」と呼ぶか、「制度」と呼ぶか、という議論の本質は、「中間者」が、最終供給者たる政府に近い中間者なのか、受給者たる患者に近い中間者なのか、という争いのことである。

中間者は確かに必要だ。その必要性は、医療およびそれに近接する社会化されたサービス(介護や福祉を含めて)が、非常に複雑化しているというサプライヤーサイドからの要請でもあるし、我々の社会が高齢化、核家族化、貧困化していることを背景に、患者のニーズがマルチ化しているというデマンド側からの要請でもある。複雑なニーズを抱えた個人に、複雑なサービスを勝手にお選びなさい、ということはできないので、中間者が必要になる。もちろん、高齢で、孤独で、貧困である個人はこれまでも存在したが、現在は無視できないボリュームになり、向こう20年は65歳以上人口が増え続け、75歳以上人口はさらに3、40年増え続けることが統計上ほぼ確実となっている。そうである以上、「自分のことなんだから、一人ひとりがちゃんと考えましょうね」では済まされないという問題意識が、多くの医療者、政策担当者に共有されている。

医療は、そもそも情報の非対称性が顕在化しやすいタイプのサービスだから、個人に「どうぞ市場からお好きにお選び下さい」では受給者がworse offされやすい。それゆえに(昔から)中間者の必要性は大きい。しかし、上記のような「現在、そして向こう3、40年の日本」というspecificな文脈の、実存の問題として我々はこれと向き合っている(筆者は抽象論というおもちゃで遊んでいるのではなく、いたって真面目に具体論を述べている)。

では、そのような「中間者」を社会に実装していくために、それを「設計」でやるのか、「下からの力」でやるのか、ということが、中間者を供給者側に近い存在として置くのか、受給者側に近い存在として置くのか、という議論とパラレルに進行する。それをルーマンの規範的予期類型と認知的予期類型に引きつけてとらえることもできよう。

2022年11月の財政審の建議から「かかりつけ医の制度化」が消え、今のところ財政当局は、かかりつけ医の制度化論から一旦撤退したように見えるが、はたしてそれで話はおしまいになるだろうか。役人は基本的に規範的予期類型のアニマルである。役所は「上からの」設計主義の誘惑をいつでも内包した組織であり、制度化(すなわち登録制)に舵を切ってくる可能性はある。そのためにも、「下からの」「自生的な」議論を絶やしてはならない。医療の実態を担う医療者がかかりつけ医機能を語る必要がここにある。

森井大一(日本医師会総合政策研究機構主席研究員)[かかりつけ医][規範的予期類型認知的予期類型

ご意見・ご感想はこちらより

関連記事・論文

もっと見る

関連物件情報

もっと見る

page top