本誌2013年11月2日号に掲載された拙稿「近藤誠氏のがんもどき理論、癌放置療法についての考察」1)に対して近藤氏からの反論2)が12月7日号に掲載された。しかし、そこにはいくつかの問題点があるので簡単に回答したい。
自然科学の進歩に乗って色々とSF(空想科学小説)が生まれるのは楽しい。しかし、SFが自然科学体系の変更を迫る事態になると、それは危うい。近藤氏の「がん二元論」(癌は本物の癌とがんもどきに分けられ、互いに移行することはない)は彼の恣意的な想念の産物であってSFそのものである。しかし、SFの枠を飛び越え、医学の進歩の成果の一つである「癌は早期に発見して、早期に治療するのが最も良い」という厳然たる事実を彼ががん二元論によって否定し、癌放置療法を広く世にすすめようとしていることを知った。
そこで、がんもどき理論に対する反論を母校の阪大外科学教室同窓会誌に投稿した上で近藤氏に送り、できれば科学者同士として対談し、科学とSFの棲み分けについて合意に達したいものだと考えた。その準備を既に完了していた6月になって近藤氏の著作に関する検証記事が2週にわたって「週刊朝日」誌に掲載されたが、話は枝葉末節にとどまり、「がんもどき理論は成立しない」という命題が論じられておらず、それをもどかしく感じて編集部へ手紙を送った。その後、担当記者からのインタビューに私が応じ、近藤氏の理論に反対していることが報道された。そのためか、近藤氏とのコンタクトが取りにくく、反論の送付から対談の実現まで近藤氏と面識のある担当記者に仲介の労をとってもらった。対談は近藤氏が来阪する日の午前に決まった。
次に対談の条件として「余人を交えず二人だけで行う」ことを強く近藤氏から要求してきた。自然科学の対談で何故秘密にする必要があるのか私には分からなかった。ところが前もって私の了解を求めることもなく、対談当日、担当記者が近藤氏と相前後して私の入院していた病室を訪れた。記者も対談に立ち会い、対談の内容を記事にまとめ掲載した。自ら強硬に主張した取り決めなるものを破ったのは近藤氏自身の側であることを、本論に入る前に指摘しておきたい。なお、同窓会誌や週刊朝日誌の記事に対する反響の中に、私が近藤氏の理論に反対する理由が分からないという声が医師の方々からもあった。そこで日本中の医師に知ってもらうために「日本医事新報」を選び、簡単に根拠とする事実を記したのが、本稿冒頭に記した考察1)である。近藤氏の指摘する勝利宣言と受け取られるものではない。
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