「お前がダラズだケエ、そいで損すッだいナ」と、因幡男が言うところを西伯耆では、「ワイがダァだケン、そいで損スーだがナ」と、言うことになる。
「ダラズ」というのは、江戸中期にでたあの『物類称呼』という方言辞典に、「おろかにあさましきを、因幡にてダラズという」とあるところをみると、なんだか因幡国専売特許語みたいだ。語源は、「(脳ミソ)が足らず」ということである。これが西伯耆になると「ズ」が脱落して「ダラ」となり、さらに「ラ」のR音が消えて「ダァ」と変わってゆく。
ところで、さっきの話ことばの中に出てきた「ケエ」「ケン」は、文法用語で言えば、いわゆる順接助詞「……(だ)カラ」に相当するものだが、その語源について探索してみると、出雲・西伯耆地方(雲伯方言地区という)は「ケン」というが、中国五県の他の地方はみな「ケエ」または「ケニ」である。もっとも、雲伯地区にも「ケェ」に類するものもあるが、それらは、「ケェッ、やかましいがナ。さわぐなら、あっちィ行け」といった「エエイッ」の意の感動詞と、「ほんに、ケェ、お前てェやつは、油断もすきもアーヘンナァ」の軽い間投詞であって、今問題にしている接続助詞とは類を異にするものである。
さて、正岡子規は松山の人であるが、彼は「筆まかせ」という文章の中で、次のようなことを書いている。「『故に』といふは、松山にて『ケレ』といふ。今では東京語『カラ』をいう者多し」。」これは、例の漱石の『坊ちゃん』の中にもよく出てくる松山方言であるが、これはどうやら近世期上方語にその源があるようだ。もとは「こそ」という係助詞が頭にきたために、それに続く形容詞が「夜コソ淋しケレ」「彼コソ勇ましケレ」と、活用語尾が「ケレ」の已然形になり、逆接の意を持ったもので「ケレド(モ)」などはこれからでてきたことばと言われるが、これがやがて順接にも使われるようになったらしいのである。
とすると、この「ケレ」こそが因幡の生活必需用語たる「ケエ」の源に違いない。
つまり、「ケレ」の「レ」音のR子音が脱落して「ケエ」となり、それが撥音化されて「ケン」と訛っていったのである。
なお、四国あたりでは「ケニ」の他に、「キニ」「キン」「キー」などと訛るところがあちこちにあるようだ。