ご先祖様の家系調査を行った。きっかけは、晩年宗教に入れ込んでいた祖母が長年過ごした大阪の家の桐ダンスの中から、手帳・写真・走り書き・親族からの手紙の束を私が見つけたことだった。私のよき理解者で、とてもやさしかった祖母は30年以上前に亡くなっているが、信仰心の篤い個性豊かな人であった。
残されたものの中から浮かび上がってくる祖母には、私の知らなかった深い悲しみの記憶があったことがわかり、祖母の家の管理人を長年務めてくれた人や、大阪の叔父さんからお話をお聞きして、戸籍、祖父の軍歴調査、仏壇の位牌、墓石等も参考にして布施田家のファミリーヒストリーなるものを作成した。織物業と伝え聞いていた祖父は軍歴票からは立派な陸軍軍人であったし、祖母は祖父にとって2度目の妻であり、祖母の目の前で前妻の一周忌が行われ、そのお返しの数の多さに自分の存在理由に衝撃を受け、実家に戻りたい、と記していた。支那事変で夫が不在の昭和14年には2歳の長女を急病で亡くし、祖母が実姉に宛てた手紙は胸を打つ。医院に入院し何度も先生が来てくれて処置をし、院長も何度も顔を出し、長女が亡くなったあとには、真夜中に院長から丁寧なお悔やみの言葉をかけて頂いた、という記載もあり、こういった話はきちんと残しておく必要を感じた。
福井の人は、戦争や昭和20年の福井空襲、そして昭和23年の福井地震で親族の誰かを亡くしている、という経験を持っている。古い写真が聞き取りによって記憶とつながり物語が生まれてくるのを見ていると、「過去は死んでしまったわけではない。ただ、眠っているだけ」だと思う。先人の苦労や悲しみや頑張りの歴史を知ることが、今を生きる自分への無言の見守りや励ましになっている。ファミリーヒストリーを配った身内からは、とても感謝された。
仕事の面では、国立病院統廃合計画による国立鯖江病院の移譲を受け誕生した公立丹南病院が、今年2月には20周年を迎える。過ぎ去った歳月を振り返り記念誌をつくる予定で、移譲前後には多くの人間ドラマもあって、その確かな記録を後世に向けてとどめておきたいと考えている。