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【論点】「知らないでいる権利」は絶対的権利か?

No.5027 (2020年08月29日発行) P.54

中井祐一郎 (川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)

比名朋子 (神戸市看護大学ウィメンズヘルス看護・助産学)

登録日: 2020-08-26

最終更新日: 2020-08-25

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Bを選びます。世界医師会による「リスボン宣言」の7.dには,「患者は,他人の生命の保護に必要とされていない場合に限り,その明確な要求に基づき情報を知らされない権利を有する」と明記されています。また,序文には「医師はこの権利を保障ないし回復させる適切な手段を講じるべきである」と記されています。

1 問いの確認

患者の「知る権利」についてはよく知られており,特に自己決定権との関連から臨床の場でも注意が払われている。しかし,「知らないでいる権利」とは何かと問われると,漠然としたイメージしか沸かないのが現実であろう。本稿で考えるのは,「知らないでいる権利」は「知る権利」と同等の重みを持つのかという問いである。さらに「知らないでいる権利」を行使した場合,医療上の不利益には甘んじなければならないのか,という問いにつながる。

2 医療の目的は「健康」を通じた「幸福」への寄与である

医療の目的は「健康」であることには異論はないだろう。これは個々人を対象としても,社会全体を対象としても成立する。日本医師会の横倉前会長は「幸福の原点は健康にある」と主張する。医療の目的は,健康を通じた個々人もしくは社会全体の幸福度の上昇であるという主張は正しいとしても,横倉の主張では「健康」は「幸福」の必要条件であるようにとらえられかねない。しかし,「健康」ではないが「幸福」であるという「生」が,少なくとも個々人のレベルで存在することは自明であり,「健康」は「幸福」の一手段であると考えるべきである。このことから,個々人にとって「知らないでいる」ほうが「知っている」よりも幸福である時,「知らないでいる権利」が尊重されるべきである。

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