No.5032 (2020年10月03日発行) P.65
田畑正久 (佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)
登録日: 2020-09-23
最終更新日: 2020-09-23
「健康で長生き」は医療界の目標であり、多くの国民の願いでもあります。外来診療でも高齢者が健康を目指して受診します。人間関係が出来たころ、対話の中で「長生きして何かしたいことがあるのですか」と聞くと、「別にないのですが」とか「みんなが健康で長生きが良いと言っていますから」という人がいます。しかし、人生において健康で長生きは目的ではなく、手段・方法ではないでしょうか。もし目的であるとする人は老病死に直面した時、悔やみ愚痴を言うことになるでしょう。
私は医療療養型病棟を担当しています。そこに転院してくる廃用症候群に近い高齢患者に、高血圧症、骨粗鬆症、脂質異常症などの生活習慣病治療薬が投与されていることが多いことに気付きました。この治療の目標をどう考えればよいのでしょうか。当事者は自分の人生を生きる意義をどう受け止めているのでしょうか。
生命倫理を担当される学者がある講義で、「知性」について以下のような考えを述べていました。「物事は単純に『よい』とか『悪い』とか言えるようなものではありません。物事を多面的に見るということは、ある意味で、そういう『曖昧さ』『複雑さ』に耐えられる力を身につける、ということです。『知性』というのはそういう曖昧さに辛抱強く付き合う力だと思っています。いわゆる『頭がいい』というか、記憶力がいい、計算が速いのは知性ではありません。そういう能力は、答えが決まっているものを短時間に解くことが求められる受験のようなものには有利ですが、単純には答えの出ない問題、人が一生かけて向き合っていかなければいけないような問題に取り組むときには、かえって邪魔になることすらあります。生命倫理の問題というのは、まさにそういう問題だと思います」
医学の依ってたつ科学的思考からは、人間に「生まれた意味」「生きることの意義」など出てきそうにありません。医師、教師、看護師など「師」の名称の付く職種の人は、人生の意義などを哲学・宗教的に思考する知性的存在であって欲しいものです。
田畑正久(佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)[医療と仏教]