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【識者の眼】「自治医大のへき地医療の義務が訴えられた件─事実誤認と『狂いだした“キャリア設計”』」名郷直樹

名郷直樹 (武蔵国分寺公園クリニック名誉院長)

登録日: 2025-08-22

最終更新日: 2025-08-15

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自治医大が訴えられた件で、ニュースが流れてきた。「悪魔のような制度」というフレーズは変わらない。その「悪魔のような制度」から医者になって40年、「悪魔のような制度」について、だらだらと考えている。

何か新しい情報があるかと思い、記事を読んでみた。そこに以下のような記述があった。

「自治医大の募集要項には国公立大の受験を禁じるなどと書いてあるわけでもなく、手続きの日程変更もお願いしましたが、断られてしまい、結果、私は国公立大学の大学受験を断念しました」(A氏)

これは事実と異なり、理解に苦しむ発言だ。自治医大の合格のためには、国公立大の受験日に都道府県庁に出頭する必要がある。しかし、国公立大の受験は禁じられているわけではなく、試験日に、国公立大を受験するか、自治医大の合格を受け入れて都道府県庁に出向くかという行動は、受験者にゆだねられている。禁じられているわけではない中で、彼自身が「国公立大の受験を断念した」と書いている通り、それは禁じられた結果でなく、彼自身が国公立大の受験を断念したということにすぎない。受験を禁じるなどという情報は、もともと不要であるし、現実に禁じられてなどいない。

ただ、こういうことは、法律に違反するかどうかということとあまり関係がないのかもしれないが、一応事実として本稿に記しておく。

もう1つは、「狂いだした“キャリア設計”」という見出しだ。自治医大が提示するキャリアは、卒後9年間(就学年数の1.5倍)を都道府県の指定する医療機関で働き、そのうちの5年間を指定のへき地で勤務するというものだ。そこで、4年間の研修が保障されているのだが、これはへき地医療のための研修であって、研修医個人の興味に基づくものではない。へき地医療に貢献するために、美容外科を研修するという選択肢はありえない。そこに制限があるのは当然のことだ。それもまた、説明不足だというのだから、困ったことだ。そんなことが18歳の高校生にわかるかという意見もあるが、18歳でそれがわからないようなら一生わからないという気もする。

「自分のキャリア」というが、何のことを指すのか。自己決定、自己実現、自分らしさ、などという言葉が氾濫する世の中で、「自分のキャリア」が自分を離れてさまよっている。「自分」といったところで、その自分こそ他者との関係から自由ではなく、自分自身から自由になる部分がなくては、自己決定も自己実現もありえない。端的に言えば、自分のキャリアを形成する才能も他者からの贈り物だし、自分自身の身体は、自分でつくったものではない。才能も身体も、自分だけのものではない。当然そこから生み出された「自分のキャリア」も、自分だけのものではない。自分だけのことを考えてばかりいると、「自分のキャリア」は狂うほかないだろう。他者があってこその「自分のキャリア」であり、それを支えるのは、実は他者であって自分ではない。他者の存在がなければ自分は当てもなくさまようしかない。

自分のことしか考えられなくなった、余裕のない、ゆがんだ世の中の一側面を、この訴訟は象徴している。どうしたらよいのか、相変わらずだらだらと考えている。

名郷直樹(武蔵国分寺公園クリニック名誉院長)[自治医大][へき地医療

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