「消極的安楽死」に関して横浜地方裁判所が言及した要件は,その後の安楽死裁判「川崎協同病院事件」の判決においても,基本的に継承されたと言って良い。本件も「積極的安楽死」の事案であるが,東海大安楽死事件同様,裁判所は「消極的安楽死」の正当化に関しても触れている。私の目には、裁判官の苦悩がより鮮明に,判決の中に表れているように見える。そこには,医療という「部分社会」の自律を尊重する姿勢が感じ取れるのである。
一般論として判断された横浜地方裁判所の治療中止に関する言及は,興趣が尽きない。裁判所はまず理論的構成として,「患者の自己決定権」と「医師の治療義務の限界」という2つの大きな支柱を立てて,許容要件を模索している。その上で,客体としての患者の状況が現代の医学において回復不可能な状態にあることを重視していると考えられる。しかしながら,これは単に2つの柱からのアプローチで解決できるものではない。なぜなら,「自己決定権」に関して言えば,裁判所も指摘するように,患者の自己決定権は重要であるにせよ,死そのものを選ぶ権利「死ぬ権利」を認めたものではないからである。これは刑法202条(自殺関与・同意殺人罪)との整合性からの要請であろう。
さらに裁判所は,「治療義務の限界」と言われる状態,すなわち死の回避が不可能な患者の状態とは医学的にもきわめて難しい判断が伴うものであるから,複数の医師による反復した診断に依拠すべき,と厳格化するのである。
横浜地方裁判所の治療中止に関する判断は,医療人に対し,一見厳格なように映るであろう。しかし,必ずしもそうではない。なぜなら,前回紹介した横浜地方裁判所判断の引用部分の末尾に現れているからだ。裁判所は治療中止の対象となる行為の死期への影響の程度により,中止が認められる状態は相対的に決して良い,としているからである。ここには,医療現場における医師・医療の裁量性を尊重する姿勢も感じ取れるのである。私はこのような姿勢を是としたい。
医療と法という「部分社会」におけるそれぞれの立場を尊重する姿勢は,その後,安楽死事件としてクローズアップされた「川崎協同病院事件」の東京高等裁判所の判断1)~5)にも見て取れるからである。以下に判決の重要部分を抜粋する。下線は同様に筆者が付したものである。
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