No.5061 (2021年04月24日発行) P.61
西 智弘 (川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)
登録日: 2021-04-02
最終更新日: 2021-04-02
「もう人生を終わりにしたい」
ベッドサイドで患者からそう告げられたら、皆さんはどのように答えるだろうか。そして、その患者が翌日、
「昨日は死にたいなんて言いましたけど、やっぱりもう少し頑張って生きてみようかと思います」
と言ったら。
前者は国試などでは「終わりにしたいくらいお辛いのですね」と答えるのが模範解答などとされるが、もちろん実際の臨床ではこのような決まりきった回答以外にも多様な答え方があっていい。しかし一方で、後者に対しては少なくない方が「そう思えるようになったのは良かったですね」というニュアンスの回答を返したくなってしまうのではないだろうか。
実際の緩和ケアの現場において、私は少なくともこの両方の問いかけに対し、ほとんど表情を変えず、「そうですか、そのように思われるのですね」と返している。つまり、相手の人生の判断に対し、私自身がその善し悪しをジャッジしないということだ。私たちは無意識の中で「少しでも長く生きることは絶対的な善である」という感覚を持ってはいないだろうか。患者が「死にたい」と言えば悲しむし、「生きたい」と言えば喜ぶ。それはもちろん、友人や家族の態度としては好ましいかもしれない。しかし一方で、「死にたい」という言葉を患者が吐き出せる場所を奪っていることにもなるのだ。だからせめて、私たち医療者の前では患者が「死にたい」と口に出せるように、その言葉を「生きることは善だ」という常識によってジャッジされない、安全・安心な場が確保されるべきだと私は考えている。
緩和ケアは「(医療者側の)成功体験が得られにくい」現場だと思う。だから自分たちが関わったことで何らかの「いい変化」が得られることに飢えてしまう。患者の気持ちをケアする前に、まず自身のそういった心理が働いていないか、常に頭に置き続けることが大切である。
西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[緩和ケア]