No.5072 (2021年07月10日発行) P.61
早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)
登録日: 2021-06-25
最終更新日: 2021-06-25
あまり一般的ではないが、禅の言葉で「野狐禅」(やこぜん)というのがある。未熟な修行者が陥りがちな独り善がりの境地(魔禅)のことである。昨今の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックではコロナウイルスやワクチンについて「真実に目覚めてしまった」人が気になる。各国政府機関の啓発活動や医療者の必死の努力を「茶番」と言って、接種券を捨て、マスクを外して遊びに行く人々を見るとため息が出る。しかも、こういった考え方は人から人へ広がってゆく。
英国の進化生物学者リチャード・ドーキンスは1976年『利己的な遺伝子』の中で、人の脳から脳へと伝達される特定の観念や価値観を「ミーム」と定義した。ファッションや作法から、迷信や政治思想、宗教まで様々なものが含まれる。ミームの特徴はこれを認識するのが人間の脳ということである。ギターの持ち方やマイクスタンドを振り回す、野球帽の逆被りや、シャツの裾をズボンの中に入れるか外に出すか、カレーライスのスプーンを水で洗う、おしぼりで顔を拭くといったたわいないものから、人々の金銭的欲望や恐怖心に入り込むような悪質なものもある。今回のCOVID-19に関わるインフォデミックは、インターネット、SNSといった現代社会の情報機能を使って瞬く間に世界に広まった。河野行政改革担当大臣によると、TwitterとFacebookにあるワクチン関連の誤情報の65%はわずか12の個人と団体が引き起こしており、さらに中国やロシアが、組織的にmRNAワクチンの信頼性を傷つける発信をしているという1)。
この種の偽情報は、「卵巣に集積し不妊の原因となる」「絨毛タンパクと交差性があるので胎盤を傷害する」「ワクチンを注射したネズミは2年以内に死んだ(ネズミの寿命は2年程度)」といった一見科学的な情報をもとにしているため、聞く人見る人の恐怖を煽る。多くの医師は論文や公的調査をもとにするため、どうしても「現時点では、報告を見る限り」という抑制的表現になる。そこが悪意のデマゴーグのつけ入るところである。そして、これを見聞きした人が「真実に目覚めた」と思い込むわけである。
現在の接種状況から大部分の良識的な日本人はこういった情報に踊らされることはないが、今後集団免疫を達成し社会の安定を取り戻すためには若者を含めたより多くの人々にワクチンを普及する必要がある。これには外国や反社会的勢力によるデマに対するカウンターインテリジェンスが必要であろう。
【文献】
1)河野太郎「ごまめの歯ぎしり」ワクチンデマについて(2021年6月24日)
早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[偽情報]