No.5073 (2021年07月17日発行) P.61
今 明秀 (八戸市立市民病院院長)
登録日: 2021-07-01
最終更新日: 2021-07-01
「橋から人が落ちた」の通報でドクターカーが出動した。警察車両で封鎖された橋に近づいた八戸ドクターカーは消防車両の後ろに停車した。患者はバスケット担架に入れられて橋の下からクレーンで吊り上げられるところだった。二人の医師は、患者に接触した。顔色は悪く、体は冷たい。橈骨動脈は触れない。肺の呼吸音は左右とも問題ない。右腕に点滴ルートを取り急速輸液を開始する。外傷のショックの90%は出血による。三大出血源は、腹部、骨盤、胸部だ。点滴を最大速度にしながら、救急車は現場を出発した。手のひらサイズの携帯超音波装置を使うと腹腔内出血がすぐに判明した。
患者を乗せた救急車がERに到着した。大動脈遮断バルーンカテーテルをERで挿入する。本来はX線透視下で進める大動脈遮断カテーテルだが、手先に伝わる抵抗で大動脈の真ん中を進んでいるのを感じる。そしてみぞおちに超音波装置をあてがい、大動脈の中を進んでくる大動脈遮断カテーテルを目で確認する。大動脈遮断バルーン留置後10分で血圧は落ち着いた。O型緊急輸血と開腹術が始まった。腹部から凝血塊が2L噴き出た。複雑に割れていた脾臓が出血源だった。脾臓摘出後に血管造影室へ移動した。骨盤骨折からの出血をTAE(経カテーテル動脈塞栓術)で止血するためだ。ERへ入室して2時間半後に循環が安定した患者は救命救急センターICUに入院した。
外傷に対する超音波の有用性は1980年代にドイツで報告され始め、1991年には木村が、そして1997年に米国におけるInternational consensus conferenceは、“Focused Assessment with Sonography for Trauma:FAST”と命名し提唱している。このFASTとは超音波検査をすばやく、蘇生中早期に、損傷の存在を確認するだけの目的で使用する方法である。
かつて超音波診断装置は、検査室に設置して使われるのが常識であった。湾岸戦争後に米軍は戦場で使える携帯型超音波診断装置の開発を始めた。1999年ついに携帯型の新製品が完成した。これにより従来の常識は180度覆されたので、“ソノサイト180ワンエイティー”と命名された。患者が超音波診断装置の置かれている場所に集まるのではなく、超音波診断装置が患者のいる場所に駆けつける時代が到来したのである。患者の生死を預かる緊迫した現場で、必ずしも超音波が専門でない医師によって使われることを想定して、「簡単操作」「耐水性」に特に考慮した造りになっていた。
損傷を確認するFASTと携帯超音波診断装置の登場で、2000年代には急速に外傷診療の質が向上した。今では、世界中の超音波メーカーが携帯小型装置を作っている。
今 明秀(八戸市立市民病院院長)[救急医療]