No.5090 (2021年11月13日発行) P.63
早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)
登録日: 2021-10-29
最終更新日: 2021-10-29
新型コロナウイルス感染症も、予防接種率が7割を超えたあたりから落ち着いてきた。最も厳しかったこの夏の第5波でも日本における死者、重症者の割合は少なく、極端なロックダウンを行わなくても三密を避け、マスクを着用し、手洗い消毒を行うという日本人の良識がファクターXだったのだろう。
もちろん人種や遺伝的背景など生物学的な予後要因もあるが、一番わかりやすいのは性差である。世界中どこでも、ほぼすべての年齢層で男性の致死率が女性を上回る。臨床免疫学的には女性のほうが中和抗体を誘導しやすい一方、サイトカインストームを起こしにくいとか、制御性T細胞を誘導しやすいといった機序が想定される。
近年、様々な病態における性差が注目されるが最も著しいのはSLEやRAに代表される自己免疫疾患である。大きな外傷や出血に伴う免疫低下にエストロゲンは抑制的に、テストステロンは促進的に働くことから、出産に伴って出血や感染のリスクを負う女性においてエストロゲンは免疫応答のアクセル、テストステロンはブレーキとしての役割を獲得したのかもしれない。
では男性ではどうか。幸いなことに日本には移入されなかったが、有史以前から19世紀末まで中東から東洋では宦官という制度があった。獰猛な雄の家畜を去勢しておとなしくさせることは狩猟民族に始まり、古代オリエントや中国では刑罰として(「史記」の著者である漢の司馬遷が有名だが)あるいは後宮を管理する男性に除睾術が施された。中国文化に忠実な李氏朝鮮でも宦官がいた。かの国では族譜と言って詳細な一族の記録が残されているが、17世紀の宮廷に仕えた宦官の平均寿命は同時代の両班(貴族)男性に比較して10歳以上長命であった1)。
キリスト教社会では去勢は禁じられてきたが、例外はカストラートである。男性ならではの声量と去勢による高音域を獲得した彼らは16世紀から19世紀まで300年あまり、教会音楽やオペラのスターだった。ファリネッリと渾名されたカルロ・ブロスキ(1705〜1782)はヘンデルやポルポーラに霊感を与え、晩年はスペイン国王フェリペ5世の愛顧を受けて貴族に列せられた。彼に限らず、同時代のカストラートは皆長命である。だからと言って、いかに長寿になっても、男性ホルモン依存性の悪性腫瘍で命に関わるといった場合以外には、精巣を取られてはたまらないというのが我々男性一般の考えであろう。
【文献】
1)Min KJ, et al:Curr Biol. 2012;22(18):R792-3.
早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[性差][性ホルモン]