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【識者の眼】「『正しい情報』は存在するのか?」大野 智

No.5113 (2022年04月23日発行) P.61

大野 智 (島根大学医学部附属病院臨床研究センター長)

登録日: 2022-04-05

最終更新日: 2022-04-05

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患者や国民の情報リテラシー向上を目的とした啓発活動の一環として「正しい情報で正しい判断を!」というフレーズをよく目にする。また、補完代替療法を批判する場面でも、このフレーズは頻繁に使われている。以前より筆者は、この「正しい」という言葉の使われ方に違和感がある。今回、筆者が抱く違和感について、共有していただけるかどうかを読者の先生方に伺いたく原稿を書いている。

「正しい」の言葉の意味について、辞書を紐解くと「道徳・倫理・法律あるいは規範・儀礼などに照らし合わせ、物事のあるべき姿を考え、それに合致しているさま」と説明されている。つまり、「正しい」には「こうあるべき」「こうするべき」といった強制力や倫理的な価値判断が伴ってくる。そのため、「正しい」の反対語は「間違い」「誤り」「過ち」といったネガティブなイメージがつきまとう。

こうしたことから、「正しい情報」という言葉を使う目的のひとつに、その情報が示すとおりに判断・行動することを、相手に求めてしまっていることはないだろうか? そのような意図はないという場合でも、もし相手が、その情報が示すものとは異なる判断・行動をしたとき、そのことを素直に受け入れることができず、苛立ってしまうことは、絶対にないと言えるだろうか?

そもそも意思決定の場面において、情報は価値中立な判断材料という位置付けである。もちろん情報としての信頼性や正確さに高低はあるものの、「正しい」「間違い」と線引きできるものではない。さらに「正しい判断」に至っては、それこそ人の数だけあり、万人に共通の正しい判断などはありえない。

世に溢れる「正しい情報で正しい判断を!」のフレーズには、どこかに唯一の正解があると誤解させたり、患者の自己決定権を奪っていたりするのではないかと、筆者は感じることがある。これが冒頭で述べた違和感の正体である。

実は、筆者自身、医師になりたての頃、補完代替療法について患者から相談を受けた際、それこそ「正しい情報」「正しい判断」を押し付けてしまい、「私を否定するな!」と叱責された苦い経験がある。その反省から、筆者は「(“正しい”ではなく)正確な情報をもとに、あなたにとって正しい(あくまで本人の価値観と照らし合わせて“正しい”)と思える判断ができるよう一緒に考えていきましょう」と対応するように心がけている。

大野 智(島根大学医学部附属病院臨床研究センター長)[統合医療・補完代替療法

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