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【識者の眼】「淀の方の更年期障害」早川 智

No.5118 (2022年05月28日発行) P.62

早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)

登録日: 2022-04-27

最終更新日: 2022-04-27

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男女機会均等法の改正もあって、政治・経済のみならず我々の関わる医療やアカデミアの世界でも、優秀な女性教授や部長医長が増えてきたことは大変喜ばしい。ただ、こういった方々が責任ある地位に就く50歳前後は更年期障害の好発時期でもある。漢方の古典である「黄帝内経素問・上古天真論」に「女子七七(49歳)にて、任脈虚し、太衝脈衰少し、天癸竭し、地道不通」とあるが、閉経の時期は古代も現在も変わらず、卵巣の内分泌機能の急激な低下は自律神経症状と精神神経症状をもたらす。組織のトップに立つ女性が更年期障害のためにdecision makingを誤るとその影響は大きい。

歴史の上でその典型は、天下人豊臣秀吉の側室であり二代秀頼の母、淀の方だろう。関ヶ原の合戦後、家康が征夷大将軍の宣旨を受けて徳川幕府を開くと、豊臣家は摂津・河内・和泉60万石の中堅大名となってしまった。安定した徳川政権の確立をめざした徳川家康は有名な方広寺の鐘銘で言いがかりをつけて、大坂城を攻撃する。冬の陣は天下の名城と真田幸村や後藤又兵衛らの采配で一進一退の膠着状態となったため、家康はオランダ献上の大砲を本丸に向かって撃ちかけ和平を結ばせる。講和の条件である総郭の破却と外堀のみならず内堀も埋め立てられ、この修理を違約とした家康は再び兵を差し向ける。この時点でも徳川方は①秀頼が大坂城を出て大和郡山の小城に移る、②淀殿を江戸へ人質に送る、③軍資金の譲渡と牢人武将たちの解雇、の3点を条件に秀頼母子の助命を申し出たが、淀の方は一顧だせず徹底抗戦を図る。しかし、裸城の上に多勢に無勢、大坂方は各戦線で大敗北を喫し、元和元(1615)年5月8日、ついには燃え上がる大坂城の中で秀頼と共に自刃することになった。享年は淀殿49、秀頼22。家康としても自分の名が源頼朝や足利尊氏と同格の幕府創設者として歴史に残ることはわかっていただろうから、淀の方と秀頼が無条件降伏さえすれば、あえて豊臣家を滅ぼして悪名を残すよりは、西国大名たちから切り離して北関東あたりに5万石くらいの小大名として残したかも知れない。

タイムマシンがあれば、淀の方にホルモン補充療法と安定剤を処方し現状認識を促したいものである。漢方で行くならば加味逍遙散だろうか?ちなみに母親のお市の方は当帰芍薬散、ライバル北政所は桂枝茯苓丸というのが肖像画からみた筆者の随証治療(パターン認識)である。

早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[漢方]

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