先日、小学生の娘の卒業式があり、出席した。校長先生からのご祝辞では、羽生善治の名言「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」を引用してのお話があった。
私たち外科医にとっての「報われること」とは何であるのかを考えた。もちろん、患者さんの病気が治ることは我々にとって「報われること」の1つだ。これには報われないかもしれないところで、情熱、気力、モチベーションを持ってあたっている外科医がほとんどであろうし、そもそも、一旦は報われる可能性が高いことである。勝てそうな勝負しかしていない、といえば、その通りである。羽生の言う「報われること」はそれよりも、むしろ、手術の高度技術の習得とか、指導的地位への昇進とか、そういうことに近いのではないかと思う。
羽生にはそれが才能がないということだ、と言われそうであるが、自分が活躍できることがある程度の可能性として担保されていないことに対し情熱、気力、モチベーションを持って継続するのは至難の業である。ましてや、他にすることがなければ、報われるかどうかわからないことに時間と労力を費やしてもいいかもしれないが、他に多大な時間と労力を必要としていることを抱えていれば尚更難しい。社会には出自、年齢、性別、人種など色々な属性の人間がいるが、それゆえに「報われる」可能性が違っていたら、可能性が低い側の人間にとっては情熱、気力、モチベーションを維持することはきわめて難しいこととなる。
一定数の人間がいて、その総力としての成果を挙げるためには、一人一人の成果の増大が必要なわけであるが、今までの医療業界は一人一人の労働時間を長くすることにより、それを達成してきたと思う。これを変えるために働き方改革が出現した。労働時間を延長せずに成果を挙げるために必要なものこそ、「より良い仕事をしよう」という情熱、気力、モチベーションである。
これは一握りの人間だけでなく、チームに属するすべての構成員が情熱、気力、モチベーションを持ってもらわなくては達成できない。人間の属性により「報われる」可能性を変えることなく、すべての構成員を活躍させることができることこそ、有能なリーダーとしての才能だと思う。その才能のあるリーダーが増えてくれることを祈る。
野村幸世(東京大学大学院医学系研究科消化管外科学分野准教授)[働き方改革][リーダーの才能]