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【識者の眼】「それはいったい『何の』エビデンスなのだろう?」小野俊介

No.5206 (2024年02月03日発行) P.64

小野俊介 (東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)

登録日: 2024-01-17

最終更新日: 2024-01-17

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合理的な判断はエビデンスに基づかねばならないとされる。確かに我々はいつも何らかの前例を参考にしている気はする。しかし「私が決めたい何か」にバッチリ見合った前例がそう都合よくその辺に落ちているものだろうか。見知らぬ誰かの身に起きたことの見知らぬ誰かによる報告が、自分の大切な何かとうまく重ね合わせられるだろうか。

「臨床試験(の結果)は薬の有効性のエビデンスである」らしい。が、私にはこの文の意味がさっぱりわからない。臨床試験の結果って何を意味してるのだろう? 薬の有効性って何だろう? 正月早々、もう何もかもが絶望的にわからず、落ち込んでいるのである。

たとえば60%の有効率(反応者比率)を示した試験結果は「薬が効かない」ことのエビデンスに思えてならない。だって100人中40人の患者が治らないことを明らかにしたのだから。

「プラセボ群に対する実薬群の優越性が検証されたランダム化比較試験」って何だろう? 私にはそれが薬の有効性のエビデンスだとはまるで思えない。それって「薬に反応する人がそのあたりにたまたま存在してラッキーだったこと」を示しているだけでしょ? ……え、「お前の有効性の定義はおかしい」って? 私も審査当局と大学で34年間有効性評価をやっているが、その間、有効性の正しい定義なるものを教えてもらったことは一度もないのだが。

1000人の患者が参加した薬の臨床試験結果があったとする。で、今まさにその薬を服用するか否か悩んでいる私やあなたにとって、その結果は「これから起きる自分の人生の1000倍(1000回分!)に相当する何か」だろうか。そうは思えない。1000倍どころか、「誰かに言われるがままに薬を飲んだ見知らぬ人々の経験を、私の未来とどう重ね合わせろと言うのだ?」と逆に無視したくなるかも。

自分自身の未来がかかった意思決定では、たとえば「隣に住むAさんが同じ医師に勧められてその薬を飲み、効いたと喜んでたっけ」というn=1の実例をエビデンスとして採用することがある。医師だってその手の事例ベースの枯れた推論(カルナップの帰納論理)で処方や治療の選択を行うことがあるはずである(そうでしょ?)。

誰もが自分の決定に何らかのエビデンスを強いられるがゆえに、世の出来事(例:臨床試験)の解釈の自由と人の行為の自由、その両方が歪められているとすれば、それはいわゆる「本末転倒」というやつである。

小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[薬の有効性[自分自身の意思決定 ]

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