“認知的不協和(cognitive dissonance)”という言葉をご存知だろうか?
1957年に米国の心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された概念で、人間の行動と認知に矛盾が生じた際に起こる心理的な不快感のことを指す。そして人は、その不快感を解消するために、自身の態度や行動を変更したり、矛盾した認知の定義を変更したりする。認知的不協和理論のポイントは次の2つである。
1. 不協和の存在は、その不協和を低減させるような圧力を起こす
複数の要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減させる。
2. 不協和を低減させる圧力の強弱は、不協和の大きさによる
不協和の度合いが大きければ大きいほど、不協和を低減させる圧力は大きくなる。
日常生活の例として挙げられるものに喫煙者の不協和がある。喫煙者が「タバコは体に悪い」ことを知りながら吸い続ける状況は、「自分はタバコを吸っている」という行動と「タバコは体に悪い」という認知に矛盾が生じるため不快感=認知的不協和が生じる。禁煙すれば不快感は解消されるが、喫煙の多くはニコチンに依存する傾向が強いため、喫煙を禁煙に変化させることには困難が伴う。そのため、「喫煙者でも長寿の人もいる」「喫煙はストレス解消によい」などと正当化することで、「タバコを吸う」と「タバコは体に悪い」との間の矛盾を弱め不快感を軽減させる。
補完代替療法にはタバコのような依存性はないものの“高額な費用”というやっかいな問題がある。サンクコスト効果、コンコルド効果という言葉をご存じの方もいるだろう。過去に投資したコスト(時間やお金)や積み重ねてきた努力にこだわり、それに対して感情的なコミットメントや合理的でないほどの価値を与え、これまでのコストや努力を無駄にしたくないという心理が働き、投資がやめられなくなる状況として説明される。
健康保険の対象外である補完代替療法は数万円単位で費用がかかることがざらにある。自由診療で提供される治療であれば数十万〜数百万ときには数千万円に上ることもある。補完代替療法を行った事実やそれらにかかったコストは変更することができない。そうなると、たとえ補完代替療法を利用していたにもかかわらず体調が悪くなったとしても、「利用していたから、これくらいの体調不良で済んでいる。利用していなかったら、もっと体調は悪くなっていたはず」と認知の定義を変更することで不快感(認知的不協和)を減弱させ、かかった費用を無駄にしたくないという心理を正当化し利用し続けることになる。
さらに行動経済学で提唱されるプロスペクト理論の損失回避性を説明する「価値関数」における「感応度逓減」という心の癖も見逃せない。これは利益や損失の金額が大きくなればなるほど満足や苦痛といった感覚が麻痺していくことである。たとえば株式投資で損失が出ると最初はすごく落ち込むものの、損失が拡大していくとしだいに鈍感になってしまい、大きな含み損を抱えながらそのままにしてしまう現象として説明される。つまり、補完代替療法を利用しているにもかかわらず効果を実感できていないと疑問に感じても、これまでに投資してきた金額が大きくなればなるほど損失に対する苦痛が麻痺してきてしまい、利用をやめるといった損切りができず利用し続けてしまうことになる。
つまり、人は誰しも、補完代替療法を一度始めてしまうと、様々な心理効果によってやめることができない状況に陥ってしまう可能性があることになる。医療者は、補完代替療法を利用している人の中には「やめようと思ってもやめられない」といった心理状態にある人がいることも念頭に置きコミュニケーションをとってもらいたい。
大野 智(島根大学医学部附属病院臨床研究センター長)[統合医療・補完代替療法(59)]