2016年7月26日付、読売新聞の「編集手帳」にこんな話が載っていました。〈その道に苦労する人が玄人、その道を知ろうとする人を素人という〉
英文学者にして駄洒落の名手、小田島雄志さんの説だそうですよ。さすが名人は違う!膝を打って早速手帳に記しました。それからというもの、この説が頭から離れません。玄人と素人、プロとアマ、どう違うのでしょう。
辞書を引くと、
プロフェッショナル=それを職業として行うさま、専門家
アマチュア=職業ではなく、趣味や余技として行う人
と載っています。
では、もう少し踏み込んで、玄人と素人の違いとは何でしょう。
わたしは、といえば眼科専門医の資格を持ち医師を生業としているので、眼科に関してはプロの端くれなのかもしれませんが、数多の大先生に比較すると、末席を汚すくらいのひよっこでしかありません。どのくらい実績を上げれば大先生と呼ばれるのかはこの際問わないとして、〈その道に苦労している〉のが玄人であれば、わたしも開業医として世間並みの苦労はしています。苦労するのは医学知識だけではありません。診療報酬を巡る攻防や、患者さんとの接し方に至るまで、プロとしていつも悩まされていると言ってもよいでしょう。
カルテに欠かせないのは病名。これも以前であれば通用したものが、今は「あれ?」と思う理由で却下されます。たとえば、目が揺れる眼球振盪、これは却下です。病名として載せたければ眼振としなくてはいけません。人間には通用する観念であっても、コンピュータはわかってくれないのです。機械頭は融通が利かないのが玉に瑕。人工知能は人にやさしくできるかな?
頭でっかちの患者さんへの対応もまた難しいですね。ネットを開けば誰でも容易に医学知識を入手できる今日、患者さんも薬の検索などお手の物です。「副作用がある薬は出さないで、しかもジェネリックでよく効くものを」。そんな重宝な薬はめったにない。「毒にも薬にもならない」という慣用句が示すように、薬には禁忌と副作用がつきものなのですから。それともプラセボ効果が出れば万々歳としましょうか。すべての人に副作用が出るわけではないので、用心しすぎるのも考え物です。慎重に、されど、時には大胆に。この言葉、医学のみならず、すべての事柄に言えるのではないかしら。
病気について調べすぎるあまり、医者をバカにする患者さんも困ります。海外の文献まで検索して、「どこそこの先生では完治したとの報告がある」と印刷物を手渡されるのです。めったにない例だからこそ学会報告になっているのであって、全症例に通用する治療法とは限りませんよ、と説明しても納得されません。患者さんは藁にもすがる思いなのでしょうから、こちらとしてはそのナントカ先生に紹介状を書くくらいしかできないのです。ああ!
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