大分大学医学部の医学科、看護科の新入生180人への健康科学概論の一コマを担当して約10年になります。昨年の講義の後、学生の感想文を読む機会がありました。私は「人間の苦悩をどう救うか」(医療と仏教の協力)という講義をさせていただいています。感想文の内容の9割以上が「仏教の話を初めて聞いた」「医療と仏教は『生老病死の四苦』を共通の課題としていることを初めて聞いた」という内容でした。あらためて若い人、及び日本人の意識構造について認識を新たにしました。
日本という国は江戸時代の宗教統制政策から生まれた寺請制度(てらうけせいど)による家(個人ではない)の宗教、そして明治時代の廃仏毀釈(短期間)から天皇を中心とした国家神道政策、そして第二次世界大戦の敗北により民主主義国家となる歴史的な流れの中で、宗教に対する歴史的しがらみを抱えこんでいます。
そして檀家制度が有名無実化し、戦後の宗教性を排除した公教育によって国民の多くは無宗教化していったと言ってよい状態になっています。
外国の多くの国は人間の老病死の課題に対して医療と宗教の協力関係が基礎文化として制度化されています。その代表が欧米のチャプレン制度でしょう。臨床宗教師と訳されますが、日本でも2012年から国立の東北大学文学部で臨床宗教師の養成講座が始まりました。西本願寺に関係する龍谷大学も東北大学と連携して2014年に臨床宗教師の養成課程を発足させました(私も少し関わってきました)。
医療人は科学的思考で教育されてきていますから、いつの間にか唯物論的無宗教的な人が圧倒的に多くなり、そして人間の老病死に関わり、「死んでしまえばおしまい」と考えるようになってしまっています。
我々のより所の意識の死や死後のことはどうなのかは不明なのです。「死んでしまえばおしまい」というよりは「分からない」という謙虚さが科学的思考だと思われますが……。理性知性の分別思考の傲慢さに気付くことが求められます。
田畑正久(佐藤第二病院院長)[医療と仏教][臨床宗教師]