No.5069 (2021年06月19日発行) P.65
堀 有伸 (ほりメンタルクリニック院長)
登録日: 2021-06-04
最終更新日: 2021-06-04
前回(No.5066)、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策において、2011年の原発事故の発生とそれへの対応の際に現れた日本社会の構造上の問題が反復されているという懸念について書きました。何をなすべきかが明確で、国民全体がそれに向かって一丸になることで最も効率よく成功と発展が期待できた時に形成された習慣が、状況が変わっても私たちにしみついた傾向として、自分たちがそれに囚われていることにすら無自覚に反復・再生産されているのではないか、という不安です。「全体がまとまる」という、安全で豊かな社会を達成する目的のための手段として選択された行動が、いつの間にか手段と目的の逆転が起こり、安全や豊かさを犠牲にしても遵守すべき目的になっている場合がないでしょうか。
不確実さ、あいまいさ、不安定さ、複雑さに対応することが重要な世界に変わって久しいとされています。そのような時代に生き残るためには、様々な仮説を立てて実際に行動し、小さな失敗をくり返して(もちろん、大きな失敗は避けねばなりません)、妥当性のある方針を磨き上げていくことが求められます。しかし、「全体との一致、調整」を欠いて進むことが許されない組織や共同体では、そのような状況において常に遅れを生じることになります。イノベーティブな発想や行動は、その空気を読めない不道徳さを非難されて棄却されるかもしれない試練を乗り越えなければ、実現されません。
数日前に、2000年に茨城県東海村で起きた原子力事故における組織の問題を厳しく指摘している文章を目にしました。2004年に書かれた本でした。「2011年の原発事故の反省がCOVID-19対策に生かされていない」と考えていたタイミングだったので、私はさらに複雑な気持ちになりました。
悪いことばかりではないことも承知しています。たとえば、東日本大震災の際には病院等からの患者の避難における問題が小さくなかったのですが、2016年に起きた熊本の災害では、その反省が生かされて相当に改善されたと聞いています。
どうやら「全体からの統制」を受け入れるか受け入れないかという葛藤を刺激されるか否かで、私たちが発揮できる能力は、大きく異なってしまうようです。
過去に明らかになり指摘された問題に向かい合うことも、必要ではないでしょうか。
【参考文献】
▶岡本浩一:無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略. PHP研究所, 2004.
▶Nagata T, et al:Disaster Med Public Health Prep. 2017;11(5):517-21.
堀 有伸(ほりメンタルクリニック院長)[日本社会]