No.4764 (2015年08月15日発行) P.17
二木 立 (日本福祉大学学長)
登録日: 2016-09-08
最終更新日: 2017-02-14
2014年に成立した医療介護総合確保推進法により地域医療構想の策定が決定されて以来、医療関係者の間で「今後2025年に向けて病院病床が大幅に削減される」との懸念が生じています。本年6月に発表された政府の「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会第1次報告」は、それを増幅させました。日本医業経営コンサルタント協会の機関誌も、「将来の急性期病床は今の病床数の半分程度に!?」との扇情的な(ただし根拠が曖昧な)「試算」を発表しています(『JAHMC』2015年6月号:26-27頁)。
それに対して私は、本連載㊹(2015年6月27日号)で、高度急性期・急性期病床、慢性期病床とも大幅削減が困難な理由を述べました。それらはいわば「論理的」理由でしたが、私はもう1つ、「歴史的」理由も考えています。それは、過去4回の病院病床大幅削減策(願望)がすべて失敗していることです。本稿では、この点を包括的に検討します。
日本で最初の病院病床大幅削減策(願望)は、1980年代に老人保健施設が構想・制度化された時に生まれました(詳しくは拙著『医療改革と病院』勁草書房, 2004, 159-161頁)。
これの最初の提唱者は佐分利輝彦病院管理研究所長(当時。以下同じ)で、1982年に「日本の病床は今の半分でよい。かわりに他の先進国のようにナーシングホームが必要である。(中略)これからナーシングホームを何十万床も増やすのは大変なので、既存の病院病床をナーシングホームに転用すればよい」と提唱しました。当時厚生省のドンと言われていた吉村仁保険局長も1983年に「過剰病床[約40万床]の医療的中間施設への転用論」を展開し、それが1986年の老人保健施設創設につながりました。厚生省が当時、一般病床を単価の安い老人保健施設に転換することで医療費を節減できるとの思惑から、主として病院病床の転換により老人保健施設を整備しようと考えていたことは間違いありません。
しかし、厚生省の思惑はものの見事に外れました。老人保健施設創設直後の1989年ですら、老人保健施設総数のうち病院・有床診療所からの転用施設の割合は1割強(14.4%)にとどまりました。しかもこの割合は年々低下し、これについての調査が最後に行われた1997年にはわずか5.5%になりました。この時点で、老人保健施設に転用された病床は6570床にすぎませんでした。それと対照的に病院病床数は1992年まで増加し続け、特に1986〜88年の3年間には、医療法第1次改正が誘発した「駆け込み増床」により13.9万床も急増しました。
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