今、なぜACP(advance care planning)が必要なのか?
2〜3年前から考えるようになった。やっと、自分の腑に落ちる考えに行き着いたので書かせて頂きたい。
現在の日本の医療・介護の特徴は、1人の患者さんに対して複数の施設が関与することである。私が子どもの頃、町医者だった私の父は多くの人の診断から終末期までを父の病院だけで引き受けていた。患者さんは地域の方ばかりであり、その子どもや孫まで診ていることもめずらしくなかった。そういう医療には、医療者と患者(とその家族)の間に無言の共通理解が存在していて、ことさらに「人生の最終段階をどう生きるか? どういう治療を希望して、何を拒否するか?」という現在のACPで求められることを事前に話し合う必要はなかった。患者の意思が確認できない状況になれば、医師と家族で簡単に相談すれば、大きく間違うことなく対応できたのである。
しかし、21世紀の医療・介護は大きく様変わりをした。その原因は医療・介護の専門性と分業化が進んだことに拠る。専門性が向上すれば1人の医療者が対応できる範囲が狭まるので、分業化は避けられない。医療だけでも、病院・診療所医療(患者が移動する医療)と在宅医療(医療者が移動する医療)があり、多くの患者がその両方を利用するようになった。そこに老人保健施設や特別養護老人ホームなどの高齢者施設、また認知症対応を目的とした小規模多機能施設などが存在する。1人の生活や人生を支えるために、複数の施設が関わることが当たり前となった。
複数の施設が関与する場合、あうんの呼吸は通用しない。現在の私たちには、有言の共通理解を事前につくり、それを多施設で共有していくことが必要になった。それが、今、ACPが求められている理由なのだと思う。社会は変わった。そこで働く私たちも変わらなくてはいけない。
しかし、私たちは正しく変わっているのか? 私には自信がない。現在「ACPとして行われている行為」に違和感を持つことが多い。本当に患者さんの希望を叶えるためにやっているのか? 医療者の都合の良いように誘導していないか? 本当に正しい情報を患者さんやその家族に提供しているか? と感じてしまう事例に遭遇する。そんなとき、ACPなんかやらないほうがましじゃないかと感じてしまうことがある。
後半は、私が感じているACPの課題について、もう少し考えを進めていきたいと思う。
小豆畑丈夫(青燈会小豆畑病院理事長・病院長)[医療と制度⑤]